この本を購入したのは、副題の「市場原理は嘘かもしれない」って部分がまさに最近わしが考えてることとかぶってたということに加え、橋本治という人の言説に信頼を寄せてるからである。

しかし、なんというのかな、うーん・・・ぐっとこないんだよな。

内容的には、筆者の言うことに異論はないし、結論としての「我慢とは、現状に抗する力である」という部分には深く同意する。でもさ、この本の内容って50Pぐらいで書けるんじゃないかな。文章がくどいぐらいわかりやすく書かれてるのは、読者層をどこに想定してるからなんだろう?中高生向けの「ちくまプリマー新書」とか「よりみちパンセ」じゃないんだからもっとちゃっちゃと書いたほうがいいと思うんだが(本にならないけど)・・・。

ついでにいうと、わしが期待してた「市場原理は嘘かもしれない」って内容が全然ないではないか、どーしてくれるんだ。と、厳しく書きながらも、橋本氏の言ってること自体には変わらず信頼を置いてます。
「SENDAI光のページェント」で培ったノウハウを元に、イベントを成功に導くためのハウツーについて書かれた本。半分以上は「SENDAI光のページェント」の苦労話と思い出話なのはご愛嬌。

で、話はここから「SENDAI光のページェント」について

「SENDAI光のページェント」は今年で20周年を迎えるらしい、すべてボランティアでここまでの規模のイベントに育て上げてきたことには素直に敬意を表する。でも、正直なところわしはこのイベントってどうも好きになれないんだよな。

このイベントって、定禅寺通りの街路樹が冬には葉が落ちて寂しいから電球点けて光の葉にして春の訪れを予感させようってなコンセプトらしいが、そもそもこの出だしが大きく間違ってる気がするんだよな。冬枯れの街路樹の風景こそが美しいのであって、ピカピカと光って綺麗であればいいってもんでもないと思うし、100万個とか数が多けりゃいいってもんでもないだろうとも思う。

確かに、多くの人の支持を集めていて集客力もあるし、経済効果も大きいだろうからわしが文句言う筋合いはまったくないんだけどさ、どうも街路樹に電球ってのが駄目なんだよな。街並みぴかぴかじゃ駄目なのか?駄目ですね。
忙しくて本は出せませんといいながら続々と刊行される内田本。内田本だけは、ハードカバーだろうがなんだろうが、即買い、即読みが定着してきた。あまりに本が出すぎて、内容が似たり寄ったりで薄味になり、読者に飽きられるということを内田先生は心配されているようですが、わしにはまだまだ大丈夫みたいです。

本書は、ブログ「内田樹の研究室」から編集者が抜き出し並べたものに少し手を加えたもので、内容的にはほとんど読んだことがある。なのに新鮮に読めるし、新しい発見があるんだから不思議だな。特に第一章『弱者が負け続ける「リスク社会」』は面白い。

なぜ、わしはこんなに内田樹を面白く感じるのだろう?とりあえずいえることは、内田氏の文章はわしに知的な欲求を掻き立てさせるである。もっと、もっとと何かが自分のなかで立ち上がってくるのを感じるのが快感なのだ。
2巻まで読んで先が読みたいと思っていたところ、ぶっとい上下巻になってコンビニに置かれているのを発見!早速立ち読みで制覇。迷惑な客ですね、スイマセン。

あああ、土田世紀だ、すばらしい。これはほんとに土田世紀にしか書きえなかった物語だな。申し訳ないが、これを読んで映画「同じ月をみている」はまったく観る気がしなくなった。残念ながら許せるレベルのものは期待できないから。でも、映画化のおかげで、こうやって原作のほうも読む人が増えるのはほんとうにありがたい、ありがとう(映画は観ないけど)。

しかし、これは立ち読みする本じゃないな。目を真っ赤にしてジュース買って帰ったよ。涙がこぼれそうになるから最後のほうはさらさらとしか読めなかった、こんどじっくり読みます(だから買えってな)。
ブレア労働党を通して日本を観る

大変面白い。普段はとんと縁のないイギリス政治であるが、これを読んで俯瞰できた。ブレア労働党が8年間の政権で目指してきた第三の道、そしてそれがどれくらい成功したのか?

しかし、筆者の目的はイギリス政治を研究することではないだろう。ブレア政権をとおして、新自由主義的な政策の次にくるべきものの姿を模索しているように見える。そして、それは他ならぬ日本において、しかも民主党のとるべき政策の方向として意図されてるように感じられる(実際には前原民主党はあらぬ方向にいっちゃってますが)。

日本においても第三の道を選択しようとするような政権が誕生することなんてあるんでしょうかね、いや気長に待ちますがね。

シュルツ全小説

2005年11月21日 読書
ネットでこの本の発売を知ったわしは、早速いきつけの紀伊国屋書店へ。最初に店内の在庫検索の端末で調べたところ、在庫あり!おおナイスだ。ところで平凡社ライブラリーってどこにおいてたっけかな?

それから小一時間、店内をくまなく探し回るがどこにあるのか分からない・・・さすがにもう限界、店員に聞こうと思ってふと顔を上げると、こ・こんなところに・・・。なんとか無事ゲット。

さて、みなさん、お暇でしたらザ・モール仙台長町の紀伊国屋で平凡社ライブラリー置き場を探してみましょう。
大変勉強になった。本書と先日読んだ『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』とあわせて、旧ユーゴ崩壊の過程がおぼろげながら見えてきた。思えば、わしが社会人になってからの出来事なんだよな、全然知らんかった。

本書は、旧ユーゴ戦犯法廷判事だった筆者の裁判ノートをもとに著されたものである。先日読んだのは、主にNATO空爆以後の旧ユーゴの状況のルポであったが、今回はクロアチア紛争からNATO空爆−ミシェロビッチのハーグ移送あたりまでが中心になっている。どちら側にも偏りすぎず視点は定まっており読みやすい。

しかし、こういったジェノサイドは、昔々の話ではなく本当に今でもおこりつつあることなんだなと改めて感じた。人間存在ってのは恐ろしいものですな。

生協の白石さん

2005年11月7日 読書
立ち読み、すぐよめた。

さすが話題になってるだけあって、白石さんのコメントは面白いな。業務のなかのことが話題になって、ネットで紹介され、書籍になって、なにより印税が入ってくるなんてうらやましい(と思うのはわしだけではないはずだ)。
泣ける本として宣伝されるのはどうかと思う

本屋のPOPには、100人が読んで100人が泣くとか、高橋源一郎が今年いちばん泣ける小説といったとかいった内容のことが書かれていたんだが、残念なことにわしは泣けなかった。泣ける泣けるといわれて読んだら、なんで泣けるかすぐ分かるだろうと・・・。

わしも年をとったからか、最近はつまんないことでうるうるくるのだが、いわゆる「泣かせ」のための仕込みには、うるうるきつつも、その阿漕さに憎悪にも似た感情が沸きあがってくることがある。最近の感動を売りにした小説なんか怒りに燃えると分かってるので絶対に読まない。

で、本書であるが、なにしろ高橋源一郎が言うんだからとそれだけの理由で買って読んだ。しかし、物語には入り込めなかった。べつに怒りには燃えないし、むしろとてもいい小説だと思う。やはり問題は「泣ける」という情報が事前にインプットされていたところにあるんだろうな。

「泣ける」部分を除いても、この小説は素晴らしいはずである。淡々とした筆致で、老人の孤独や苦しみを描き出し、言葉の通じない異国でのこれまた孤独な男との偶然の友情を暖かくものがたる。この部分だけで充分な、そんなお話。泣けるとかそんなことは考えずに素直に読むべし。
わしの図書館利用は、買うほどではないけど読みたい本を借りるとか、ぷらぷらと本棚を眺めながら面白そうな本を手に取るのが楽しいとか、普段は絶対に見かけない雑誌を読むとかなのであるが、本書はどのようにして図書館で資料を探すかというノウハウを書いた本。

著者は週刊ダイヤモンドの記者であるが、ここに書かれているノウハウなんかはホントに外に出すにはもったいないのではないかと思う。わしは資料探しをすることはほとんどないので実際にはそんなに役立たないけど、そういった業務の人には貴重な情報満載であると思う。

【図書館に行けば、調べたいものは「ほぼ」見つかる。見つからないものは本当に存在しないか、隠し立てされたものか、まだ日の目を見ていないものだと思えばいい。】と著者は言い切る。まさにそういうだけの「使い倒し」方をしてるな。素晴らしい。これは読み捨てるのではなく、ずっととって置くような資料本である。

※ところで、アクセスが悪くてぼろくそに書かれている政令指定都市にある県立図書館(名指しはされていない)があるんだが、それって・・・宮城県立図書館?たしかにあそこは車がないといくきになれねえな。

夜と霧 新版

2005年10月31日 読書
えー、歴史的名著です。原題は「心理学者、強制収容所を体験する」、実際にナチス強制収容所内での体験を記したものである。

想像を絶する収容所生活、自らの命をいかにながらえるか、それだけしか考えられないような極限状況の中にあってさえ、心の自由を失わない、生きることの意味を見失わない人々はいた。

一度は読んでおくといいと思う本。わし自身もこれからも何度も読み返すと思う。
人と人が交わると、そこにはなにかのコンフリクト(対立、紛争、もめごと、諍い、葛藤)が生じる。それの解決にあたって、双方の妥協点を調整する従来の方法ではなく、違った視点からの解決法を解説した本。

本書で書かれていることはほんとにそのとおりであり、何の反論もないんだけどね、ただ、こういった手法に「トランセンド法」ってな名前をつけるのはいまいち逆効果なんではないかとそうおもうわけです。名前をつけることによって、なんだかハウツー的なものにみられてしまうような危険を生んでいる気がする。「お互いとことん話し合って、そういう問題が発生している根本の部分を見直しましょう」っていう手法なんだから、日本語でそれと分かる手法名にしたほうがいいと思うな。

まあでも、ほんとに難しいのはそこまで話せる状況を作ることなんだが、そこの壁ってどうやって乗り越えるかの解説も欲しいところです。
空爆以後のコソボ

本書の最初のほうは読むのに苦労した、ユーゴ情勢に無知なわしは、地名が出ても民族名がでてもそのたび最初の地図を見直していたし、ましてやUNMIKだのKLAだのKFORだのわけの分からん団体名が目白押しで何がなんだか分からなかったのだ。

しかし、読み通してこれは貴重なルポタージュであるとわかる。著者が現場で取材し見聞きしてきた現実がいかにわれわれが知る西側社会の情報と違っているか、現在もカタストロフィは続いているのにまったくニュースにはならない。そういった現実に光を当てた力作。

国際社会ではアルバニア系住民に対して民族浄化を行ったとして悪役になっているセルビア人であるが、空爆後は逆にアルバニア系組織によって誘拐、殺害され、また信じがたい人権侵害に晒されている。著者は旧ユーゴ各地を巡り、多くの組織のキーマンや市井の人々にインタビューし、複雑怪奇なセルビア、モンテネグロ、コソボ情勢をルポタージュしていく。

あと本書の文体について。最初、本書を読んでいておやと思った、ハードボイルドや冒険小説の文体なのだ。おそらくわしと読んできた本はかなりかぶってるんだろうなと思って読んだ。一つの物事を短い言葉でしかも的確に書こうとしているのがよく分かる。おそらく、かなり推敲したのだとおもうが、贅肉がなく動きのあるいい文章だと思う。

さて、これを期にユーゴ情勢ももう少し突っ込んで読んでみたい。とりあえず次は、多谷千賀子『「民族浄化」を裁く−旧ユーゴ戦犯法廷の現場から−』にいってみる。

いのちの食べかた

2005年10月22日 読書
『ご臨終メディア』を読んで、そういや森達也の本って家になんかあったよなと思い探してみたら、なぜか小一の娘の本棚にこの本があった。いくらなんでも小一には無理だろ>妻。

われわれは、毎日肉を食べている。あの牛や豚を食べてるんだってことは分かっている。でも、その途中の過程をほとんどの人は知らない。なぜだろう?そこをきちんと調べてみよう。

食肉市場での屠殺の工程からはじまり、わが国の食肉の歴史を振り返る、そこで「穢れ」や「不浄」の概念が食肉と関わってくることが分かってくる。そこから部落差別問題、メディア問題も絡めて話が進み、著者はわれわれが自分から知ろうとする姿勢の大切さを説いていく。

たいへん真摯な姿勢で書かれた本で、内容的にも素晴らしい。家にあるの分かってたのになんで今まで読まなかったんだろうな、もったいないことした。森達也はもっと読んでみたい。
著者名を見て、なんだか見たことのある名前だなと思った。プロフィールをみたら「かまやつ女」の文字が飛び込んできたので、ああ廃刊になった心理学雑誌『PSIKO』とかに書いてた人だなと思いながら購入。よく考えたら『ファスト風土化する日本』の著者じゃねえか、気付いたら買わなかったのに・・・。

でも、前回よりは面白かった。相変わらず、アンケート・統計についての学問的信頼度にはかなり「?」が付くが、マーケティング本として読むと面白い。
階層を〜系というカテゴリーに強引に区分するのは、まあ雑誌レベルの読み物という感じであるが、読んでて自分に心あたることも多いし(それによると、わしはもろ下流なんだけど、笑)、軽く流し読むには宜しいんじゃないでしょうか。
おもしろい、読め!

集英社新書はこういった対談形式モノが大変うまい。姜尚中/森巣博の『ナショナリズムの克服』、姜尚中/テッサ・モーリス・スズキの『デモクラシーの冒険』、そして今回の森達也/森巣博とどれも非常に面白かった。おそらく同じ編集者が関わってるのだとと思うがよくやった(違ってたらスイマセン)。

さて、本書は「ドキュメンタリー作家」森達也と「賭博師」森巣博が日本のメディアを切って切って切りまくる。いやあ、ホントにどうなっちゃうんだろうね>日本。

「メディアがおかしい」ということは、誰もが多かれ少なかれ、またいろんな意味において感じていることであろう。視聴者からの抗議を過度に恐れ、先手を打った自主規制で自らを縛りつけ肝心のことは何も報道しない、そのくせいったん悪と認定されれば叩きのめす。そんな日本のメディアの姿を二人は晒していく。

わしにとって興味深かったのは、オウム事件に対する対応において日本がいかに変わっていってしまったかという森氏の見解である。まさに日本におけるオウム事件は、10年早く来たアメリカにおける9.11なのだな。彼の作成した映画『A』『A2』をなんとしても観たくなった。

街場のアメリカ論

2005年10月16日 読書
長いまえがきがとても面白い

久しぶりの内田樹教授、ピンでの出版物。この本について内田氏は自分のブログで次のように語っている。
『街場のアメリカ論』の方はいったいこれがまともな研究書なのか、トンデモ本なのか、書いた本人には判定できない。
読み返しても、やっぱりよくわからない。
わかるのは、非常に多くの人がこの本を読んで腹を立てるだろうということだけである。
「物議を醸す」というようなレベルに止まらず、「罵倒の十字砲火を浴びる」「学者生命の終わりを宣告される」「読んだらバカになると断定される」「ついに馬脚をあらわしたと嘲弄される」といったかなりアグレッシブな反応が予想されるのである。
NTTのM島くんがあれほど「この本はいいです」と断言されるのは、内容がいいという意味ではなく、批判の嵐、ネガティヴ・キャンペーンが全国展開されるおかげでNTT的にはパブリシティにお金を使う必要がなくてラッキーという意味だろうと推察される。
なにしろ考えられる限りの領域のアメリカ研究者の「虎の尾」を踏みまくっているんだから、そりゃ関係者のみなさんはさぞやお怒りになるであろう。
英米文学関係の友人は多いが、彼らとて、この本を一読したあとは、私とは二度と口をきいてくれまい。
あの寛大なるナバちゃんでさえ、「ウチダさん・・・これはひどいよ」と絶句されるであろう。
まちがいなく私の書いたなかではいちばん態度の悪い本である。

ここまで書かれたら、これは絶対読まなきゃって思いますよね。本屋で見つけて即買い、他の未読の本は飛ばして即読みいたしました。

まず、20Pちょっとある長い長いまえがきがやたら面白い。この部分でかなりテンションが上がってしまった。これは久しぶりにすごい読書体験になるのでは(わくわく)と思ったが、中身はいつもの内田節でした(いや、面白いってことですよ、期待が高すぎただけで)。

実際、そんなに挑戦的な内容でもなかったと思うんだが、ブログで洗脳されてるからかもしれないが、違和感なくその通りと思いながら読めた。今まで読んだアメリカ論と特に敵対する内容でもないと思ったし。たしかに視点が違いすぎるのはあるだろうけど、(お得意の)ジェイソンやアメコミについての話は普通のアメリカ論ではでてこないしね。

いちばん残念なのは、装丁が『街場の現代思想』からかなり貧相になってしまったこと。紙質、デザイン、フォントと同じ街場シリーズなのにこんなに違うのかと・・・、並べて置くとかなり泣けます。

新書読みの憂鬱

2005年10月15日 読書
本屋はこまめに巡回しているつもりなのだが、たまにいっせいに読みたい本が現われるときがある。読書の秋に向けてか、各社からいろいろ新刊がでている。しかも、今回は読みたいのがけっこうあるぞ。ヤバイ。いろいろ興味の範囲が広がってきてるってのもあるんだろうけど、どれを買って、どれを立ち読みして、どれをななめ読みで済ますかってのはなかなかシビアな問題だ。

気になる本一覧。
●『人は見た目が9割』 竹内 一郎 新潮新書
●『図書館を使い倒す!―ネットではできない資料探しの「技」と「コツ」』 千野 信浩 新潮新書
●『あの人と和解する―仲直りの心理学』 井上 孝代 集英社新書
●『インフルエンザ危機(クライシス)』 河岡 義裕 集英社新書
●『ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 森 達也, 森巣 博 集英社新書
●『自宅入院ダイエット』 大野 誠 集英社新書
●『フランスの外交力―自主独立の伝統と戦略』 山田 文比古 集英社新書
●『地方公立校でも「楽園」だった―再生のためのモデルケース』 川村 美紀 中公新書ラクレ
●『ぐうたら学入門』 名本 光男 中公新書ラクレ
●『社会の喪失―現代日本をめぐる対話』 市村 弘正, 杉田 敦 中公新書
●『友情を疑う―親しさという牢獄』 清水 真木 中公新書
●『世界最高の日本文学 こんなにすごい小説があった』 許 光俊 光文社新書
●『産廃ビジネスの経営学』 石渡 正佳 ちくま新書
●『働きすぎの時代』 森岡 孝二 岩波新書
●『子どもの「心の病」を知る』 岡田 尊司 PHP新書

これでも店頭で選択したあとの生き残りなのだ。書名をメモるだけでも大変であった。とりあえず、鉄板で読むと思われる森達也、森巣博の『ご臨終メディア』のみ購入。
それはまさにミッケ地獄

楽しい本である、少なくとも『ウォーリーを探せ』よりは遊びがいがある。手がこんでいて、にぎやかで、家族や友達みんなでわいわい探せる。子供とのコミュニケーションにももってこい。子供だけでなく大人も夢中になること請け合い。

なのであるが、これだけつき合わされるともういやになってくるな。たぶんあと一冊ぐらいで全巻制覇なのでもう少しの我慢だ、がんばれ>俺。
娘の小学校でも大人気らしくて学校の図書館ではなかなか回ってこないらしい、地元の図書館でもずっと予約待ちだし、借りてるみなさんがんばって探してね。
「書は言霊を凍結させる」

「書」である、わしは書とはまったく何の縁もないが、たまたまこの本を手にとって読んでみたら面白くて買ってしまったのだ。

著者は書道家なのだが、まず素晴らしいのが平易な文章を書くということ。これだけ読みやすく解りやすい文章を書けるのはたいしたもんだ。途中、字や書体の歴史や道具についての話もあるのだが飽きさせずに読ませる。

そして、なによりこのデジタルの時代にさえ、手書きの文字がいかに重要で、これからも間違いなく生き延びていくという理由ををわかりやすく語ってくれる。わしなんかも字が下手で、文字を書くことにはコンプレックスがあるし、パソコンの存在は本当にありがたいと思ってる人間の一人であるが、これを読むとなんだか「書」をはじめたいような気分になりますな。

「書は人なり」

こういう自己表現の芸術もあったんだなと目を開かされた本でした。

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