ISBN:4121502019 新書 櫻井 義秀 中央公論新社 2006/01 ¥819

感想は後ほど
お、舞城の本が新書化されてるなと見つけ、即買い、即読み。舞城王太郎は『煙か土か食い物』『阿修羅ガール』に続いて3作目の体験。感想?うーん、うーーーーーーーーん、微妙。

さくさくと、そして面白く読めたのは読めたんだよ。でもさ、あくまでわしが舞城に求めているのはエンターテイメントであって、その点において後半部分には及第点はあげられないよな。

先祖代々、鬣(たてがみ)をもつ血筋に生まれついた主人公の少年、獅見朋成雄。そして、その友人の書道家の爺さんモヒ寛。ここらへんのキャラクターの造形は(エンターテイメントとして)見事。わしは、これは舞城ウルフガイかとわくわくしながら読んだよ。

それが後半は異世界譚になるのだが・・・。いや、いいんだ芸術にしろ食人にしろ本腰入れてテーマとして取っ組み合うなら。でもさ、あまりにも表面的すぎて薄っぺらな切り込み方じゃないか。擬音が変わってて目を引くが、それだけでは物足りないな。

わしは読んでる最中、絶対先のこと考えずに書いてるなと思ったぞ(笑)。実際には、異世界譚を書きたくて、そこに紛れ込む人物をうっかり魅力的に書きすぎたのかもしれんが。まあ、わしの希望はただひとつ、獅見朋成雄を主人公とした続編をエンターテイメントとして書いて欲しい、以上。
使える(?)レファ本(参考図書)のレファ本

最近(特にgoogle以降)、調べ物といえばインターネットと相場が決まってきている。わしもほとんどの調べ物はネットで済ますし、ネットで見つからないものはあきらめるという習慣がついてきている。この本は、そういったネットで見つからない知識を違う角度から提供してくれる「レファ本」を選定したもの。

あー、なんだか手元に置いてあれば使えそうだなと思わす本が満載なのであるが、いちいち買っておけないので本書を手元においておくことにする。でも『日本俗語辞典』『記者ハンドブック』なんかはほんと買って損はなさそう(買わないけど)。『死刑の理由』のみ買います。

あくまで著者個人の選定なので内容には偏りがあるが、それでも役に立つ本である。できれば『図書館を使い倒す』千野信浩(著)新潮新書も入れてあげてください。
罪と病という二重の試練を背負った子どもたち。医療少年院で、精神科医として彼らと向かい合う著者が、多くのケースとの関わりを通して、異常な行動の根底にある問題に迫っていく。なぜ、彼らは自らを傷つけ、他人を害さねばならなかったのか。想像もつかない冷酷な犯罪を犯してしまったのか。損なわれた心は回復できるのか。人との絆は取り戻すことができるのか…。だが、そこに浮かび上がるのは、決して特別な子どもたちだけの問題ではない―。圧倒的な事実の重みと、子どもたちの悲しみが胸をつく、臨床現場からの痛切なメッセージである。

本の見返しの内容紹介が良くできていたのでそのまま引用。

「非行の最大の危険因子は親であるという現実がある。」と著者は書く。そして豊富な事例を挙げ、いかに家庭環境が非行リスクを高めているかを説明していく。しかし、この本の素晴らしいところは、それを単に親が悪いとはせずに、広く社会の問題に還元していっていることである。

世間を騒がす重大事件を起こした少年の多くは医療少年院に送られる。マスコミは彼らをモンスターとして取り上げ、更正の可能性など無いような扱いをする。医療少年院出の少年が再犯に及ぶにおいては、それ見たことかの大合唱で、彼らを排除する論理が大手を振ってまかり通る。

著者は、現場での視点から、子どもたちがどのようにしているか、どのようにして更正の道を探っているのか、またその中で社会に求められることは何かを綴っていく。そう、こういった子どもたちを生み出したのは他ならぬ我々の社会なのである。彼らの心の問題を探ることは、我々の社会の病理を探ることでもある。

大変に面白く示唆に富んだ本でした。ただ、些細なことではあるが、「めざす方向は明らかだ。子どもたちが明るく元気でいられる社会を取り戻すこと―。それは、社会の再建の明確な指標ともなるだろう。」という文章に若干の違和感を覚える。「子どもたちが明るく元気でいられる社会」なんていままであったのか?子どもたちの犯罪の質の変化は確かにあると思うし、それが今の社会を映す鏡であるとも思うが、過去に子供にとって理想的な社会があったという考え方にはわしは与しないな。
少し前になるが、カップヌードルのコマーシャルで少年兵を扱ったものがあった。ミスチルの唄をバックに、小銃を持った少年と少女が渚にたたずみ、「世界中に少年兵が30万人以上いると言われます」というテロップが流れる。これはまたメッセージ色の強いいいCMだなと思っていたら、視聴者からの好戦的であるというクレームで放送中止になってしまった。文句いうヤツもなんだが、そんなことで中止にするんじゃない、覚悟が足りんぞ>日清。

というわけで、本書はその少年兵の問題について真正面から取り上げたレポートである。内容は大変重たい、しかし、現実の話である。ウガンダの元少年兵は、誘拐され、人を殺させられ(そうしないと自分が殺されてしまう)、少年兵として戦わせられた。たとえ運よく逃げ出せても、彼らの熾烈な体験は簡単に社会に戻ることを許さない、強烈なフラッシュバック、人殺しと後ろ指を差され学校にも行けない。そして、大人をまったく信用しない彼らの心を開くのは並大抵のことではない。

なぜ少年兵というものが存在しているのか、小型銃器の進歩により子供でも戦闘に加われるようになったこと、暴力で従えやすく洗脳しやすいこと、貧困のために志願せざるをえない子供たちがいること、そしてなにより紛争が後を絶たず、銃器を製造し売りさばいていくものたちがいること。本書はそこの仕組みを明らかにしていき、また少年兵撲滅のための取り組み、われわれに出来ることを紹介していく。非常にまっとうな本でした。

最後に、国連での小型武器の軍縮に向けた取り組みが遅々として進まないなか、2003年7月におこなわれた国連小型武器会議において、日本政府特命全権大使 猪口邦子が議長として全会一致で報告書の採択を勝ち取ったエピソードは大変感動的であった。日本の平和外交もまんざら捨てたものではないじゃないかと思った。
里親をごぞんじですか?

年をとると(30代ではあるが)涙腺が弱くなってどうもいかん、本書に紹介されている23組の里親家庭のレポートを読んでいるとところどころで泣けてくる。わしは、まがいなりにも家族をいうものを持って、定期的な収入があり、二人の子供を養育している。これがどれだけの幸運の積み重ねの結果であるか、自分の力なんかではなく単にツイていただけにすぎないと感じる。もしかしたら今ごろ牢の中にいたり、へたすりゃ生きてなかったかもなとよく思う。そして、自分は一般的な家庭で育ったにもかかわらず、なぜかここに出て来る要保護児童に自分を投影してしまう。

本書では、23組の里親家庭のレポートを通じて、里親とはどういうものかを知らしめていくのと同時に、現在の日本の里親制度の問題点を浮かび上がらせていく。日本では3万7千名いるといわれる要保護児童のほとんどは施設で家庭というものを知らずに育っていく。諸外国では5割から9割もの子供が里親家庭で育つのに、日本では1割に満たない。それは社会的な認知度の低さ、子育ては親の責任という考え方の浸透、里親制度に対する誤解に加え、児童福祉師の絶対的不足をはじめとする行政システムの不備があげられる。

1951年に制定された児童憲章の第2条には、「すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる」と謳われている。児童虐待やネグレクトにより精神的な傷を抱えた要保護児童が増えていく中、情緒的に彼らが可哀想というだけでなく、犯罪に強い足腰の強い社会をつくるという面からも、里親制度やそれに伴う地域での取り組みの必要性が高まっているのではないか。

などと、えらそうに書いてみたが、本書を読むと里親でもやってみようかと思う人も多いと思うのでとりあえず読んでみてください。

屍体狩り

2006年1月10日 読書
この前読んだ『絵の教室』は、カラーであるのが素晴らしかったが、どうせならこの本をカラーにして欲しい。初めて読んだときから、なんでカラーじゃないのだと惜しい思いをしていたのだ。

中世ヨーロッパを中心とした死の図像を取り上げ、その時代精神を読み解き味わう「美術手帳」に連載の43話のエッセイ。著者は美術史家、この連載を期に「死体屋」と呼ばれるように。まず、題名が『死体狩り』じゃなく『屍体狩り』なのが素晴らしい。

流麗な文章は、その怪しげな内容と相まって仄暗い吸引力を発する。なによりも、彼女自身が屍体フェチであることを文章は物語る。屍体の大腿骨が美しいと語る彼女の感性は、屍体にたかる蛆や蛇、蛙(そんな描写のものが多い)をも細かく描写してやまない。また、屍体図像を求めてヨーロッパ中を訪ね歩く彼女の執念には感動を覚える。残念なのは、写真がすべてモノクロなこと、新書だから仕方ないけどやはりカラーで読みたかった。

話しは変わるが、中世ヨーロッパの王侯貴族は墓碑彫刻に腐敗死骸像(トランジ)を使った。死ぬ前に彫刻家に死後どれくらいの像とかいって注文したらしい(2,3日とか3年とか)。当然、その像は朽ち果てゆく死者(当人)の無惨な姿を晒すことになる。それが、死が日常であった彼らが残された人びとに残したメメント・モリ(死を想え)のメッセージであり、生前の罪を吐露し神の国への道を願った贖罪でもあったようだ。

マニア心をくすぐる文章と内容(何マニアだよ)。あと、読むときは一度に読むと結構辛いので、少しずつ読んでいくことをお勧めします。
月刊プシコ 創刊2号
ついでに創刊2号も買ってしまった。
出版社としてほんとに力が入ってるなと思わす内容。新聞広告なんかも大きく入っていたし、連載の充実度なんかもしっかりしてて売れる雑誌として作られている。ついつい、年間購読してもいいかなと思ったりもする。

しかし、残念なのは前の「PSIKO」(ほんとに関係があるのかどうかは知らないが)と比べて、すっかりアカデミックな雰囲気が消え去ってしまったこと。いや、前のだってけっしてアカデミックな雑誌ではなかったんだけど、なんとなくそういった雰囲気はまとっていた。しかるに、これは心理系の読み物満載の雑誌って感じで、専門誌を読んでるって気がしないのだ(まあ、専門誌じゃないからいいんだけどさ)。

一部には「プシコ」ってのは、医療関係者が精神的におかしい患者に対して影で侮蔑的に使っている単語なので雑誌名に使うのはどうかって意見もあるみたいだけど、そんな一部業界のことを気にしてもしょうがないので、この伝統ある(?)名前で頑張ってほしい。

とりあえず、当面は内田春菊読むのに買います。
なんで『絵の教室』なんて本を買ったのか、自分でもよく分からない。本の帯にある「だれもが受けたい理想の授業」ってのは、絶対に誤りであると思うが、この本がつまらなかったわけではない(面白いか、役に立つか、と聞かれたら答えに窮するが)。

授業というよりは、絵描きがいろいろやってみたことを綴ったエッセイという感じであろうか。とりあえず、寺田寅彦の話とゴッホの話は面白かったのでよしとする。

この本のもっとも素晴らしいところは、カラーであること、これに尽きる。
昨年9月に新刊ででたときに買ったんだがやっと読めた、正月休み万歳。内容的には2003年刊の同名のハードカバーの文庫化にあたり加筆、修正したもので、あちこちに掲載した評論をまとめたもの。400Pを越える厚い本なので気後れしてなかなか読み始められなかったが、読み出すと一気に読めた、面白い。これをハードカバーのときに読んでいたらおそらくこの感想はなかったと思う、ここ数年の読書体験がこういった本を読むときの下地を作ってきたのだなと感じる。

姜尚中は、その出自(在日韓国人)を原体験としたポストコロニズム的な視点からの言説が素晴らしい。日本人として育ってきた者には到底気付けない視点にはっとさせられる。この視点こそが、戦後民主主義を論ずる者の中でも彼の独自性を発揮させているものであろう。本書においても、日本人が無意識に感じる日本国=日本民族という陥穽に気付かせるという点において如何なく発揮されていると思う。

また、最近の日本の国家主義の台頭とアメリカとの関係において、その通りと思った文章があったので引用しておく
だがそのような国家主義はアメリカへの従属性を一層深めていくことにならざるをえないだろう。ここに戦後日本のナショナリズムの両義性がある。それは、あくまでも国際的な上位権力としてのアメリカの世界戦略にとってうまみがある限りにおいて、その存立を許されるからである。この「従属的ナショナリズム」の複雑な相貌は、戦後の「国体」が日米合作の混成的(ハイブリッド)な構成によって成り立っていることに対して支払わなければならない代償である。
1999年の文章であるが、まさに今の日本の状況を予見しているようで興味深かった。
月刊プシコ 創刊号
たまに読んでいた心理学雑誌『PSIKO』が、ずっと新刊がでないのでついに廃刊になったかと思ってたら、出版社も変わり新装で創刊されていた。昨年から出てたのは知ってたんだが、別に買わなくてもいいかなと思いながらも、あんまり本屋の在庫が減らないので可哀想で買ってしまった。

執筆陣は見事なまでに、わしにはなじみの人ばかり、記事もそれなりに面白かったので、このままうまく続くといいねえ。
貧乏クジ世代・・・団塊ジュニア世代に対してこのネーミングはまさに言いえて妙と思い読んでみた。

まあ、香山リカもたくさん書いてるからちょっと薄味になってますな。『THE21』に連載した内容をまとめたみたいだけど、本も薄いが内容もいまひとつ突っ込み足らず。個人的には、70年代生まれは確かに貧乏クジひいてると思う。競争が激しかった割にはいい目見てないし、ツイてない世代だよな。

わしは、ちょっと上のバブル入社組で本当に申し訳ないと思う。わしら以降、企業はほとんど新卒をとらなくなったから、わしはずっと下っ端生活が長くていいことなかったが、それでも勤め先があっただけましだもんな。まあでも、折角「貧乏クジ世代」っていうネーミングがいいんだからもうちょっと掘り下げて考察してくれるとよかったのにね。
ありがちなことであるが、題名と内容はかなり違う。

本書の半分以上を占める第一部は、日本のまんがアニメの来歴をたどる内容である。しかし、これがなかなか面白い。戦前から、日本漫画(アニメ)がディズニーのキャラクターアニメからいかに大きな影響を与えてられてきたか、そして戦時中の変容の仕方、戦後の継承、発展にいたるまで非常に興味深い分析がなされている。この前半部分だけでも読む価値があった。

そして、後半に入り本来の議論、政府が日本アニメ、まんがを日本文化として育て、輸出しようとしている、そのことについての批判が展開される。筆者等の主張はよく分かる、金なんか要らないから放って置いてくれ、国策としての取り組みなんか百害あって一利なし、それに儲からないよ。おっしゃるとおりだと思うんだけどさ、べつにそんなにいきり立って反対しないでもすぐ頓挫するんじゃないの、無駄金は多少使うけどさ。

でも、いってることはまっとうだと思うので傾聴しておきます。

真夜中へもう一歩

2005年12月18日 読書
「二村永爾」シリーズ第2弾。あいかわらず二村刑事は休暇にやりたい放題。正しくハードボイルドの文脈に沿い、完全一人称で語られるストーリーは、何が起こっているのか全体像が見えないまま進んでいく。短い期間に、いろんなことに巻き込まれ、あるいは首を突っ込み、もうなにがどう起こっているのかさっぱりわからなくなるのだが、その行き当たりばったりの道中をこそ楽しむ小説であろう。

相変わらずの洒落た台詞、気の利いた比喩。きっと彼以降の作家は、こっち方面は矢作俊彦によってやり尽くされている、別の方向にいこうって思ったことだろう。しかし、ともすればやりすぎ感のある比喩の連発を許容範囲内にしているのは、主人公二村の人間的魅力である。彼の存在こそが、この連作を読むべきものにしていると思う。
はあああ、読み終えてため息が出る、素晴らしいな。これが最初に出版されたのは1978年、今から27年も前だ。それなのにまったく古びない、これだけ固有名詞や気障な台詞がばらまかれている文章なのに、いまだ新鮮に読めるってのはほとんど奇跡のようなわざであるな。今まで読もう読もうと思って読まなかった、この自分を悔いるよ。

矢作俊彦はずいぶん昔から知ってた。高校時代だったか、渋谷陽一のFM番組によくゲストで出てきては毒舌を撒き散らしていたのを覚えている。関係ないが、この番組には今は亡き景山民夫なんかもよく出ていた。今から、20年ぐらい前の話だ。

当然のように、この変わった作家の作品を読んでみようと思って、当時文庫化されていた『マンハッタン・オプ』シリーズは読んだはずだ。ただ、当時の感想は、気障ったらしい台詞ばかりのハードボイルド作家(間違ってはいない)というだけだった。

しかし、その後、いろんなところで作家や本読みの人たちが矢作俊彦を思い入れたっぷりに語るのを聞いては、ちゃんと読まないととは思っていた。『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』が出た時だって読もうと思った。結局、読み始めたのは一年以上たってからだった(つまり昨日だ)。

わしは、高校時代からのチャンドラーファンなので、矢作俊彦がいかにチャンドラーに傾倒しているのかは、文章を読めば笑えるほどよく分かる。しかし、単なる二番煎じではない。洗練された比喩表現の向こうには、たしかな存在感を持った人物達がいる。久しぶりに手ごたえのあるハードボイルドを読んだ。ああ、次の『真夜中へもう一歩』も楽しみだよ。

現代殺人論

2005年12月12日 読書
やはり、殺人論は読んでおかないとな、わしのテーマだしな。というわけで題名買い。

犯罪、とりわけ殺人を分類し事例をあげ解説していく。豊富な事例はさながら近年の日本の殺人事件総覧。すべての事件が、あああの事件ねと心あたるのが我ながらなんともやりきれん。文章は読みやすく、内容も面白いのですらすら読める。

著者は犯罪心理学者。学者らしく、今の日本のは相変わらず世界有数の治安の良い国である、という冷静な議論をしている。マスコミの作り出す幻想に囚われすぎてはいけないってのは、まさにわしの思っていることであり、そして、誰もが環境によっては殺人者になるかもしれないという言葉に深く同意するものである。
前巻を持ってたので続編も買ってしまいました。
日本語って難しいですね(感想終わり)。

あ、前回に引き続き4コマ漫画が面白いです。

「抜く」技術

2005年12月10日 読書
風俗嬢への技術指南書ではない

題名を見れば誰だってそう思うよな(思わねえか)。
著者は、工学博士で「海洋温度差発電」の世界的権威。そんな著者が、人生「押す」ばかりではあかんよ「引く」=「抜く」ってことも必要だ、と説いてくれる本。すらすらと読め、はいはい、ほうほう、そうですねで終わる。

書かれてることはその通りだと思うが、わしにはまったく毒にも薬にもならなかったと、そういうわけです。「海洋温度差発電」に対する知識がついたのが良かったぐらいかな。
いやいや、なかなかおもしろかった。筆者は東京新聞、中日新聞の論説委員。本書は最近の経済政策においてエコノミストの間で論争のあった、郵政民営化、不良債権処理、金融政策、財政再建、構造改革の五つのテーマについてまとめている。

論点が分かりやすく整理されており、だれがいつどのように主張していたかがよく分かり勉強になる。結局、いろんな論戦があっても、その裏に潜んでいる主張者やその支持者の利害関係というのが物事を複雑怪奇にしているのだなと思う。しかし、それでもなお、本書のように丁寧に論戦を整理しまとめる作業というのは必要であるし、ありがたいと思う。

シュルツ全小説

2005年12月2日 読書
シュルツをはじめて知ったのは、どこかの掲示板で「『クレプシドラ・サナトリウム』という小説を知りませんか?」という書き込みをみたときだった。ちょっと題名に興味が湧いて、いろいろ調べてみたがまったく分からず、とりあえず世界何とか全集の何巻目かに話が載ってるということだけが分かったのだが、それ以上は情報無しでそれっきりになっていた。

そんなとき、ブルーノ・シュルツ全集(1998年、上下巻、17,850円)が発売されたのだ。探しましたよ本屋を、そして見つけたときの喜び。しかし、当時極貧の極み(日本語変?)にあったわしにはこの値段は厳しすぎた、なにより読んだこともない作家だし。とりあえず『クレプシドラ・サナトリウム』他数編を立ち読みしたところで、その本は誰かに買われたのか無くなってしまった。

それから7年、でました『シュルツ全小説』。しかも1,900円!文庫だけど高くない、高くないよー、よくやった平凡社ライブラリー(本屋での置き場には問題があるが)。

というわけで、じっくりとこの本を読んでいます。シュルツの独自の世界を、美しい日本語に置き換えている工藤幸雄の訳が素晴らしいです。

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