忙しくて本は出せませんといいながら続々と刊行される内田本。内田本だけは、ハードカバーだろうがなんだろうが、即買い、即読みが定着してきた。あまりに本が出すぎて、内容が似たり寄ったりで薄味になり、読者に飽きられるということを内田先生は心配されているようですが、わしにはまだまだ大丈夫みたいです。

本書は、ブログ「内田樹の研究室」から編集者が抜き出し並べたものに少し手を加えたもので、内容的にはほとんど読んだことがある。なのに新鮮に読めるし、新しい発見があるんだから不思議だな。特に第一章『弱者が負け続ける「リスク社会」』は面白い。

なぜ、わしはこんなに内田樹を面白く感じるのだろう?とりあえずいえることは、内田氏の文章はわしに知的な欲求を掻き立てさせるである。もっと、もっとと何かが自分のなかで立ち上がってくるのを感じるのが快感なのだ。
2巻まで読んで先が読みたいと思っていたところ、ぶっとい上下巻になってコンビニに置かれているのを発見!早速立ち読みで制覇。迷惑な客ですね、スイマセン。

あああ、土田世紀だ、すばらしい。これはほんとに土田世紀にしか書きえなかった物語だな。申し訳ないが、これを読んで映画「同じ月をみている」はまったく観る気がしなくなった。残念ながら許せるレベルのものは期待できないから。でも、映画化のおかげで、こうやって原作のほうも読む人が増えるのはほんとうにありがたい、ありがとう(映画は観ないけど)。

しかし、これは立ち読みする本じゃないな。目を真っ赤にしてジュース買って帰ったよ。涙がこぼれそうになるから最後のほうはさらさらとしか読めなかった、こんどじっくり読みます(だから買えってな)。
ブレア労働党を通して日本を観る

大変面白い。普段はとんと縁のないイギリス政治であるが、これを読んで俯瞰できた。ブレア労働党が8年間の政権で目指してきた第三の道、そしてそれがどれくらい成功したのか?

しかし、筆者の目的はイギリス政治を研究することではないだろう。ブレア政権をとおして、新自由主義的な政策の次にくるべきものの姿を模索しているように見える。そして、それは他ならぬ日本において、しかも民主党のとるべき政策の方向として意図されてるように感じられる(実際には前原民主党はあらぬ方向にいっちゃってますが)。

日本においても第三の道を選択しようとするような政権が誕生することなんてあるんでしょうかね、いや気長に待ちますがね。
昔、人を殺す夢をみた。相手は誰だかわからないが、確かに自分の手で殺して床下に埋めた。それ以降、たまに夢の中で自分が人を殺したことを思い出すようになった。

なんてことない普通の夢から、いきなり人殺しについて思い出すのだ。ああ、俺は殺人者なんだった、あの屍体が発見されたら俺は終わりだ、あの場所は掘り返されたりしてないだろうか?

これは夢だ、これは夢だと思いながらも、ものすごい切実さで迫ってくるものがあり、もしかしたら現実に俺は人を殺していて、普段は記憶から締め出しているだけなのではないか、そんな疑問が頭をもたげてくる。

ある日、夢に進展があった。隠していた屍体が見つかってしまったのだ。それからは、ずっと何者かに追われ、捕まる寸前で夢が終わるということが繰り返されるようになった。きちんと前回捕まりそうになったところから夢が再開され、その場は逃れるのだが、やはりまた捕まりそうになり夢が終わるのだ。

すっかりその夢は自分の中の悪夢の定番になり、始まると、ああまたこの夢かと感じるようになった。そんなあるとき、ふと、俺は誰を殺したんだろうと思った。そして、気がつくと俺は埋めた屍体を掘り返していた。屍体が見つかったから追われていたんじゃないのかというようなことはまったく問題外で、一心不乱に掘り返していた。

少しずつ土の中からあらわになってくるその屍体は、とくに腐りもせず、死んで間もない感じの青白い肌の色をしている。顔についていた土を払っていくと、そこにあらわれたものは他ならぬ俺自身のデスマスクであった。俺は俺自身を殺して埋めたのだった。そして、俺を追いかけ、追い詰めようとしていたのもまた俺自身だと気付く。

それ以来、その悪夢を俺は見ない。これが当時の自分自身のリアルの生活とどのようにリンクしていたのか、自分の内面の葛藤や成長と関係があったのかどうなのか、心理学的に分析すれば面白いのかもしれないが、そういう気持ちにはどうしてもなれない。ただ、自分の人生のひとつのエピソードとして大切にとっておきたい話なのである。

本日の買出し

2005年11月24日 日常
一昨日は本屋にいくも平凡社ライブラリー探索で終わったため、本日は新書の新刊中心に買出し。

なかなか面白そうな新刊が出ているが、今回は

●ブレア時代のイギリス 山口二郎 岩波新書
●乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない 橋本治 集英社新書
●「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか 大塚英志 大澤信亮 角川oneテーマ21
●経済論戦−いま何が問われているのか− 川北隆雄 岩波新書

の4冊を購入。他にも気になるの&読み残しがあるんだが、いかんせん読む時間が取れない。

平凡社ライブラリーの『シュルツ全小説』が売り切れている。この前はあと数冊あったのに・・・売れてるのか!?

Night Mare

2005年11月23日 日常
幼いころから
熱にうなされてみる夢は
耳をつんざくマシンガンの轟音

そして

世界が俯瞰されてゆき

どこまでも続く砂漠の景色は
やがて僕の脳味噌いっぱいになって
それでも膨張をやめない

いつ果てるともしれないその轟音と膨張は
別の悪夢と交錯し
僕をさらに苦しめる
過剰セキュリティってのはどうかと思うぞ
また、会社のPCのパスワードが増えた。わが社では、出勤時間の打刻も自分のPC上でするのであるが、PCを立ち上げその画面にたどり着くまで、都合6回のID&パスワードの入力が必要である。あ、あのね、個人情報保護法の施行とかさ、PCウィルスの進入による情報流出に備えるのは分かるけどさ、これはいくらなんでも過剰防衛だろ。だいたい、わしのPCには流出して困るような情報なんかほとんど入ってないし、あっても半年後には屑になるような情報ばっかりだぞ、いったい何を守ってるんだよ。席についてから出社ボタンを押すまで10分ぐらいかかるんですが、それはいいんですか?

まあ、たしかにこれだけ厳重にパスワード管理してたらPC盗まれても大丈夫だよな。誰かさんみたいに忘れるからって貼り付けてなけりゃだけど・・・。

シュルツ全小説

2005年11月21日 読書
ネットでこの本の発売を知ったわしは、早速いきつけの紀伊国屋書店へ。最初に店内の在庫検索の端末で調べたところ、在庫あり!おおナイスだ。ところで平凡社ライブラリーってどこにおいてたっけかな?

それから小一時間、店内をくまなく探し回るがどこにあるのか分からない・・・さすがにもう限界、店員に聞こうと思ってふと顔を上げると、こ・こんなところに・・・。なんとか無事ゲット。

さて、みなさん、お暇でしたらザ・モール仙台長町の紀伊国屋で平凡社ライブラリー置き場を探してみましょう。
アドレナリンが出ています
本日も仕事。もうずいぶん仕事ばかりしている気がする。けれども、なんだかワーキングハイ気味で全然疲れない。大丈夫か?>わし
ネット友人2名来仙なり
今日明日と、東京より友人が来仙。男女だがカップルではないというややこしさ(ややこしくないか)、わしは夜の部でお付き合い。

仙台組3名と東京組2名で、もっぱら文系の話題で話し倒してましたが、二次会のバーの照明があまりに暗すぎて、皆さん強烈な眠気に襲われあえなく解散。でも、大変楽しゅうございましたよ。

折角の東京からの客人なのにあんまりお相手できなくて申し訳ない。

歌う鬼瓦

2005年11月18日 日常
歌う鬼瓦
あれは絶対カンツォーネだと思う。

わしは視力だけは昔からよくて、夜目もわりと利く。なので夕暮れ時にバックミラー越しに、後ろの車で鬼瓦のような顔をしたオヤジの口が不自然に動いているのもすぐに分かった。

同乗者もいないようだし、どうも一人で歌っているようだ。しかも、妙にはっきりと口が動いている。あれは絶対カンツォーネだったと思う。
読む前から圧倒的に面白いとわかっている本も珍しい。じつは今までもったいなくて読めなかった。それが先日、本屋で第一巻が立ち読み可になってたためうっかり読んでしまった、期待にたがわぬ面白さ、やむを得ない、2巻とも(めずらしく)買いました。

浦沢直樹はほんとに手堅い描き手だ。物語の膨らませどころ、ドラマの作り方を心得ている。読み手の涙腺の刺激の仕方とかほんとに巧すぎる。それでいて、きちんと手塚治虫のアトムの闇の部分まで押さえている。うーん、穴が無さすぎですな。

まず、このままいけばこの作品は、手塚作品のリメイクとしての地位を離れ、SFとして、物語として傑作との名を残すであろう。お願い早く続き描いて。
笑えるぐらい忙しい
ここ一週間、読書はまったく出来ていない、仕事ばっかりしてるから書くネタもないあるよ。

今の仕事の仕方で業務が拡大再生産されていくと、いずれ近いうちにわしは死ぬな。個人業者なら売り上げが上がってうはうはなんだろうが、いかんせんわしはしがないサラリーマンなのである。しかも、がんばったからといって給料が特段に上がるわけでなく、モチベーションなんぞこれっぽっちもないんだけどな。

自己満足いがいに意義を見つけられない忙しさであるな。
こちらが忙しくなってくると、機嫌が悪くなるんだよな。

なんだかこっちが機嫌悪くなる前に先回りされているようで切ない。

ドラマ 4TEEN

2005年11月14日 TV
ドラマ 4TEEN
WOWOWのドラマの再放送を観る。

わしは石田衣良の原作を読んでいないが、とてもいいドラマであった。贅沢な撮り方で、映画のようにじっくりと演出されている、途中にCMもないし、ゆったりとした気持ちで観られた。

4人の少年の成長物語ときくと、スティーブン・キング原作の『スタンドバイミー』を思い出すが、これはまさに現代のスタンドバイミーであるな。原作にどれだけ忠実なのかは分からないが、この世界はドラマとして完成されていると思われるので、堪能してしまったわしは原作を読むことはないと思う。

子供たちの演技はけして上手くはないが、とてもいい雰囲気をだしている。菅原文太、中尾ミエは素晴らしい。いや、ほんといいドラマであった。

夜中まで

2005年11月13日 お仕事
夜中まで
本日も仕事。午前中は取引先の皆様の前で勉強会、夜は力仕事。

夜の部は終わりが深夜に及ぶと思われるので、おにぎり二個で軽く腹ごしらえして取り掛かる。と、いきなり弁当の差し入れ・・・自分だけ食べないわけにいかない状況だったので無理やり完食。腹はちきれそうだよ。

日記書くぞ〜

2005年11月12日 日常
日記書くぞ〜
えー本日は11/20であるのだが、気合でさかのぼって書くことにした。今年の正月から全日付を埋めているので、これをとぎらせてしまうと日記を書くモチベーションが無くなってしまいそうなので、あほらしいとは思うが書く。だいたいどんなことがあったのかは分かるのでいいよな、うん。

で、本日は、えーと、仕事してました!

事故の話

2005年11月11日 日常
事故の話
知り合いが車こすったとかで、事故の話になった。わしはあんまり事故ってしたことないなあ、とか思って考えてたら昔やったのを思い出した。

もう10年ぐらい前になると思うが、当時はレンタルでトラックを借りてイベントを行うことが多かった。いくつかのイベントをこなしたあとで、すっかりトラックの運転に慣れたわしは、得意げに狭い道路を2トンアルミのロングで疾走していたのであった。

うーん、我ながら完璧な車幅感覚だよなとか思いながらはしっていると、前にトンネルが見えてきた。狭いトンネルだけれども、短いし対向車がいなければ充分な幅がある。鼻歌交じりにトンネルに突っ込む直前にあっと思った、車高大丈夫かな?

次の瞬間、すさまじい大音響とともに、わしが運転していたトラックは見事にアルミの天井部分をトンネルにこすり付けながらトンネルに詰まって止まった。後続の車の整理を同僚に頼み、何とかバックで脱出したが、見事に荷台上部はめくれ上がっていた。中の商品が無事だったのが不幸中の幸いだが、なにより腹がっ立ったのは、事故を目の当たりにして興奮を隠せず狂喜乱舞している餓鬼どもであった。

レンタカー屋のオヤジは蒼くなっていたが、警察ではトンネルの被害は認められず(がたがたのトンネルだったから)、自損扱いでわしには事故歴すらつかなかった。保険でトラックの荷台も新品になったことだろう。

それからしばらくは、高さに制限のあるところでは妙に慎重に運転する人になったのであった。
この回転式の鼻毛カッターってよく出来てるんだよな。昔、ゾーリンゲンの同じ形のヤツを愛用していたのだが、同じ形のを見つけて買ってきてもらった。

よく切れるし、痛くないし、お勧めですぞ。
大変勉強になった。本書と先日読んだ『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』とあわせて、旧ユーゴ崩壊の過程がおぼろげながら見えてきた。思えば、わしが社会人になってからの出来事なんだよな、全然知らんかった。

本書は、旧ユーゴ戦犯法廷判事だった筆者の裁判ノートをもとに著されたものである。先日読んだのは、主にNATO空爆以後の旧ユーゴの状況のルポであったが、今回はクロアチア紛争からNATO空爆−ミシェロビッチのハーグ移送あたりまでが中心になっている。どちら側にも偏りすぎず視点は定まっており読みやすい。

しかし、こういったジェノサイドは、昔々の話ではなく本当に今でもおこりつつあることなんだなと改めて感じた。人間存在ってのは恐ろしいものですな。

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