8人の映画監督とその作品にまつわる種々雑多な物語。読みやすい多くのエピソードが、それぞれの監督の人間性に光をあてていく。とても面白い。

●デヴィッド・クローネンバーグ 『ビデオドローム』
●ジョー・ダンテ 『グレムリン』
●ジェームズ・キャメロン 『ターミネーター』
●テリー・ギリアム 『未来世紀ブラジル』
●オリヴァー・ストーン 『プラトーン』
●デヴィッド・リンチ 『ブルーベルベット』
●ポール・ヴァーホーヴェン 『ロボコップ』
●リドリー・スコット 『ブレードランナー』

観たことのある作品では新しい気付きが得られ、観たことのない映画はきっと観たくなる、そんな映画本でありました。
まあ、落ちることはないだろう、3級だし。

それより今日も大掃除ができなかった・・・。
(もちろん大掃除ってのは比喩である。)

psiko 創刊3号

2006年2月14日 読書
psiko 創刊3号
なんだか毎月買ってるな。

出版社としてかなり力はいってるなと感じる。執筆人も豪華だし、読みどころも満載。しかし、ターゲットは20〜30代女性なんだと思うがそのくらいの層ってファッション以外でこんなに読むところの多い雑誌買うかな?どこまで続くのかちょいと心配。
ISBN:4480062610 新書 石渡 正佳 筑摩書房 2005/10/04 ¥714

このひとすごいな
自己啓発というもの
ふと気がつくと今度の水曜に資格試験がある。まだ何にもやってないんですが大丈夫でしょうか?

最近、会社の業務評定に自己啓発という欄ができて、なにかを自己申告しないといけなくなった、しかも結果報告がいるので必然的に資格試験にチャレンジとかTOEIC何点とかそんなのになってしまう。業務評定に公平さなんてもともと期待してないからいいんだけどさ、なんだか迷走してる気がするな、近いうちになくなるに5000点。

社員に自己啓発させたいって会社が考えるのはわからんでもないけどさ、このシステム自体お役所仕事だよな。それに、自己啓発=資格試験勉強と会社が考えているふしも見られるのが、かなり萎えてくる。いまでこそ勢いのある我が社も、もう先は長くないのかもなと感じる、大丈夫かホントに?
父親稼業がんばっているよな、だれも褒めてくれないので自分で褒める。だが、まだやらないといけないことは残っている、大掃除だ。
ISBN:4000027913 単行本 坂上 香 岩波書店 1999/01 ¥2,205
雪かきぐらいしようよ
仙台市民の皆様へ

道の雪かきぐらいもうちょっとしようよ。家の前とか会社の前の歩道とかの雪かきするってのは常識じゃないのか?ここんとこ妻が娘を車で送っていかないといけないので、(車は一台なので)必然的に自転車通勤になるわしは泣きながら雪の上を走っています。

でも、何より情けないのは我が社の中庭である。だれも雪かきしないので圧雪になってつるつるの氷状態、でずっと溶けずに残っている、ほんとに100人以上が働いているビルなのかと思う情けなさ。ママさんダンプまではいらないから平シャベルか雪押しぐらい置いといてくれ、あとは幹部の皆様がちょっとやりだせばあちこちから人が飛んできてあっという間に完了するのは間違いないから。
面白い!全ブロガー必読の書

わしは、パソコン通信から始まりインターネットも普及初期からやっていたが、そのなかで一番衝撃的だった出来事というのは実はGoogleの登場である。当時、さるコミュニティの掲示板で下手な論争を繰り返していたわしは、自分の意見の根拠やデーターなどの裏をとるためにひたすら検索エンジンを使い倒していた。人の手で分類されていた当時のyahooはまったく役に立たず、infoseekやexciteといった機械式の検索エンジンでひたすらいろいろな文字の組み合わせをためし、役に立ちそうなサイトを一覧からほぼ勘で探し出すという行為を繰り返していたのだが、Googleの日本版がでて初めて使用したときは本当に驚いた、まさにピンポイントで欲しい情報がでてくるのだ、これは他のヤツには知られたくないよなと思ったものだ。

余談が長くなったが、そのGoogle革命について本書ではより本質的な部分について述べられ、そしてさらにGoogleが今後なにをしようとしているのか、なんだかわくわくするような内容が展開される。本書は、いままでとまったく質の違う変革が起こりつつあることをGoogleのほかにもアマゾンやウィキペディアの例を挙げながら分かりやすく教えてくれる。

しかし、本当にわくわくする話はここからなのである。こういった変革によって何が起こり変わってくるのか、これはもしかしたら小泉構造改革よりももっとわれわれの社会を構造改革してしまうかもしれない。

例えばブログである。ネット環境の整備によりわずかな費用で自己表現ができるようになり、ブログ人口はどんどん増えていっている、母体が大きくなるにつれ本当に面白いブログの数も増えていっているだろう。しかし、今はブログ界は玉石混合、よほど暇でもない限り面白いブログを探し続けるなんて作業は難しい。ここで、Google革命と同様のブレークスルーを経て「自動秩序形成システム」というものが出来上がれば、リアルタイムに受け手の嗜好に合わせて玉石の玉だけがふるいわけられ届けられるのだ。

それは、単に受け手として有用な情報が届けられるという意味ではより便利な社会というだけである。しかし、送り手の側から考えるとどうだろう。情報の発信者にその情報の価値に見合った対価が届けられるようになり、その情報価値の審査システムが納得のいくものであったら・・・、少なくとも今現在ものを書いて生計を立てている人々は心穏やかではないだろう。何千万の人々が自己表現をはじめ、そこから価値のあるものだけが選ばれていくという究極の競争はどういったものを生み出すのだろう?そして、これは単純な弱肉強食ではなく、マイナーな趣味嗜好のものでいままでは埋もれるしかなかったものに光を当てるという効果も期待できるのである。
今読んでる『ウェブ進化論』が面白い、そのなかでこのような文章があった
実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの1年半の過程で身をもって実感した。(中略)ブログを通じて自分が学習した最大のことは、
「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」ということに尽きると思う。

これは著者の文章ではなく、さる技術系ブロガーの文章を引用したものであるが、本当にその通りだよなと思った。

わしもこの一年書いてきて、それは自分にインプットされたはずの読書記録をメモ代わりにつけているだけであるが、このわずかなアウトプットだけでも自分に多くのリターンがあるのを実感する。それはわしの場合には自分自身の成長とか考え方の深化なのであるが、場合によっては人との交流であったり、技術的なブレイクスルーであったりするんだろうなと思う。

わしがここでの日記を後追いでも(ここは後追いで書けるところが素晴らしい)毎日つけるようにしているのは、単純に空白があると自分が書かなくなるような気がして恐ろしいからである(笑)。続けられる自信が出てきたら書きたいときに書くようにしようと思うのだが、読んだ本の感想文でさえリアルタイムで書けてない現状を考えるとまだまだ時期は早そうである。みっともなくても後日書き換え、追加をやりつつも続けていきたいとおもうのであります。
人の欲望というものはまったく困ったものだ。

わしは人が後ろ暗い欲望を持つことを否定しないし、またそれを実現させようと(法律の範囲内で)努力することもまったく否定しない。いい女(男)とヤりたいとか、SMだろうがフェチだろうが、また違う種類のいろいろな欲望についても、自分の快楽を追求する生き方もまたいいだろうと思う。

しかし、それはあくまで大人にのみ許されたお楽しみなのだ。残念だが子供は大人になるまで我慢しなさい。その間に少しは自分の欲望をコントロールできるようにしておいたほうがなにかと役に立つということはアドバイスしておく。

人間の安全保障

2006年2月5日 読書
『貧困の克服』に続く集英社新書のアマルティア・セン小論集。わしは、アマルティア・セン博士を敬愛しているので、きちんとしたレビューは出来ません(感情が入るので)。とりあえずいえるのは、文章が易しいので読みやすい、しかし、そのまま勢いよく読んでしまうと読み落とすところが多いのではないかということだ。易しい文章なのによく分からなくなるところがわしには結構あった。

博士の民主主義に対する絶対的な信頼、そしてそのためにまずは教育をと訴える姿勢はまったく揺るぎない。いや、ほんとかっこいいです。
ブルーハーツ/ハイロウズ ヒロトとマーシーの20年

音楽のムック本には興味がないんだが、彼らの名前を見てそういやハイロウズも解散したんだよなと手にとって読んでみた。こんなわしも20年前はブルーハーツなんかしっかり聞いてたんだよな。あの歌詞は衝撃的だったもんな、俺には絶対に書けない歌詞だと思ったよ。彼らのフォロワーバンドはそれこそ雨後のタケノコのごとく出てきたが、かれらのセンスを継ぐものはほんとに少なかったな。

まあ、わしも3rdアルバムぐらいまで聞いて、あとはチェックのみだったのでまったくたいしたファンでもないんだが、彼らがいなくなると少し寂しいな。なにしろブルーハーツが世にでてから、わしの名前が突然かっこいいといわれるようになったのだ、ありがとう>甲本君。

Crush!

2006年2月3日 音楽
ネット友人からのお勧め。最初はSoweiu(ソエル)勧められてるのかと思ったら随分違いましたね(笑)。これはいい!分かりやすくかっこいい、ライブなんかでは大盛り上がりだろうな、いってみたいぞ。

「SOIL&“PIMP”SESSIONS」は『サフォケーション』から知ったが、「EGO-WRAPPIN’」や「PE’Z」がいったいどっちにいっちゃうんだろうって感じなのに対して、分かりやすく彼らの道をいっているな、素晴らしいです。
信頼の置ける中国ウォッチャー清水美和(男)

前に読んだ『中国はなぜ「反日」になったか』が、非常に分かりやすく目から鱗がぽろぽろ落ちる内容であったので、その続編となる本書(出版社は違うが)も当然即読み。

前著が国交回復からの日中の動きを詳細に追っていたのに対し、本書はさらに直近の胡錦濤政権と小泉政権について細かくレポートしている。本書の好感の持てる点は、まず根拠の薄弱な先入観や好悪の感情を廃し、公式報道、非公式報道ともに出所をはっきりさせ、その上でどう考えられるかを書いていることである。

中国政府はわれわれが思っているような、ひとつの顔を持つ一枚岩の政権などではない。もともと親日的な胡錦濤政権が、いろいろなサインを日本側に送っているにもかかわらず、小泉首相の靖国参拝およびそれをめぐる発言によっていかに国内での政権基盤を危うくしているか、日本は日中が友好的な関係を築く最高のチャンスがあったのにそれをフイにしてしまった。そういったなか育まれてしまった中国大衆的民族主義の大きなうねりの中で、強権的な共産党本部といえどもうかつに親日的な発言が出来ない雰囲気ができあがってきてしまっている。13億の国民をコントロールすることがいかに難しいことであるか、その胡錦濤政権の悲痛な叫びに対し日本はもっと答えてやるべきではないのか。それこそまさに日本の将来的な国益に貢献すると思うのだが。

ともあれ、本書は日中問題を考える上で非常に参考になると思われるので、皆様漏れなく読まれたし。
うーむ、二月なのに忙しい。これは、二月のような閑散期に研修とか新製品の発表会とか改装とかいろいろやってしまおうという社内、取引先皆様方の思い付きにより、かえって仕事が輻輳してしまうという様相を呈しているためである。おかげで、休みにちまちまと本来の仕事をやるという(それでも追いつかない)悲しい事態に陥ってるわけだ

昨年も書いてたが、今年も二月は忙しくなりそう。既に絶対に達成不可能なスケジュール組みになってしまった、あとはどれだけの妥協とごめんなさいで乗り切るかだけだな。ごめんなさい>取引先様各位<先回りしていっておく。
不思議な解説である。藤井誠二氏は少年犯罪関連の著作の多いジャーナリストであるが、ここまで肝心の解説の対象となる著者(芹沢一也)や著作(ホラーハウス社会)に触れずに自分の持論を述べてしまうってのも珍しいな。著者はともかく編集者がよくオッケーしたよなと思う。

まあそれは置くとして、その解説の内容が、わしの問題意識と非常にリンクしつつわし自身を告発しているように思えて考えるところが多かった。

彼の主張のあらましはこうである。
少年犯罪に対し、少年を理解しようという立場から異常者として拒絶するという立場に社会が転換を果たした背後には、それまで見捨てられ続けてきた犯罪被害者の実態に光が当てられだしたということがある。ここで、少年犯罪にもはや(社会の歪みによって不幸な境遇におかれた少年が犯罪に走ってしまい、立ち直るという)物語を求められなくなった社会は、こんどは犯罪被害者にたいし物語化を進めているように思われる。つまり、理不尽な暴力によって人生を奪われ、地獄に突き落とされた人々に同情を寄せることによって、カタルシスを得る社会の出現である。

それにとどまらず今度は、犯罪被害者を「赦す被害者」「赦さない被害者」に選別してしまう物語が出来つつある。つまり、犯罪被害に遭い、家族を殺され、人生を狂わされる。しかし、いつかは加害者と交わり、「赦す」という「赦す被害者」のストーリーである。これは「赦さない被害者」をあたかも悪役のように仕立て上げるもので、犯罪被害者救済の法整備がまだ不完全な日本で、犯罪者を憎み続ける被害者が多いということ、また加害者の社会復帰に恐怖を覚えるという遺族の存在を忘れさせてしまうという危険な状況を招きかねない。被害者遺族にとっての最終的な救済や癒しとは、加害者との交流の中で「赦す」という状態に達することであるとする一部の人権派の人々は、問題の一部だけを見て全体が見られていない。

正直に言って、わしはここで非難されている「犯罪被害者の癒しは加害者との交流の中で生まれる」と考える者である。それは、犯罪被害者について今まで考えてきた結果なのであるが、もちろん赦さなくてはいけないとかそういうものではない。被害者慰留のためには、何が起こったのかを知るためにできる限りの情報が与えられたり、興味本位で見られなかったり、生活上の援助が得られたりすることが必要であると思うが、それとともに加害者自身の口から事件について聞けたり、被害者の自分達が日々どういう思いで過ごしているかを加害者自身に話せたり、そして、できうれば加害者の悔悛の情を示してもらう、そういうこともまた必要であると思うのだ。しかし、まず、加害者と交流を持つことは今までは叶わないことだったということを考えなければならない。加害者自身の口から事件について聞きたい、そういう思いを持つ被害者の努力で、交流が少しずつ実現できるようになりそして「赦す被害者」という存在が現われだしたのである。

藤井氏は「赦し」の圧力が被害者にかかるようになったというが、わしにはまだ「赦してはいけない」圧力のほうが被害者にかかっているように思える。被害者が「どうしたら加害者を赦しますか?」とインタビューで聞かれるのは、「赦せ」という圧力ではなく、「死んだものは帰ってこない、どんなことがあっても赦せません」という答えを期待しているからであろう。たしかに藤井氏の言うような圧力があるのであれば、できる限りそれを感じないように配慮する必要はあるだろう、しかし「加害者は絶対に赦せません、何とか極刑にするように努力します」という検察側の人間だっている、そちらにも目を向けないと被害者の心の安寧は図れないのではないだろうか。

そもそも、メディアが欲しているのは感情のベクトルの大きさであって、その方向ではないと思う。被害者が赦そうが赦さなかろうが、カタルシスを得られる物語にできればそれでいいのだ。根本的な問題はその物語を欲している社会のほうにこそあるのではないか、藤井氏のいう「赦す被害者」の物語以前に、カタルシスを得るための物語化がなされるそういった状況を打破する試みこそが必要なのではないかと思う。
芹沢一也の2作目、前の『狂気と犯罪』が非常に面白かったので買ってみた。前作では、日本における精神病院をめぐる歪んだ成り立ちと現状が書かれており、これは今までにない視点からの素晴らしい著作であった。

さて、本書は少年犯罪の話題なのであるが、5章のうち2つの章は前作にもあった精神病院がらみの話なので、目新しいのは3章分ということになる。前作を読んでる人にはお買い得度がちと下がるが読んでみる価値はあるかと思います。

少年犯罪に対する反応について、昔は少年の更生を信じていた(もしくは信じようとしていた)社会が、酒鬼薔薇事件とその後の少年犯罪を境に正反対に転換し、彼らを理解不能なモンスターとして排除へと向かいだしたと著者は言う。そして、一方で実体のない不安にとりつかれ、もう一方で治安管理を(子供たちの安全マップ作りのように)エンターテイメントとして楽しんでいる社会が出現しつつある。この歪んだ状況を著者は「ホラーハウス社会」と呼ぶ。

うーん、わしは筆者と問題意識を共有するものであるが、治安管理がエンターテイメント化されつつあるってところにはもう少し冷静な観察が必要なんではないかと思う。昔の子供にとっての夜祭が今の子供にとって防犯パトロールに同行する経験であるといった言い方はどう考えたっていきすぎだろう。子供にとっては非日常はすべからくエンターテイメントなのであるから、なにも防犯意識を高める試みへの参加をエンターテイメント化なんていわなくてもいいんじゃないかな。切り込むべきは、子供ではなく大人が治安管理にエンターテイメントを求めていないかという部分ではないだろうか。

あと、小宮信夫が提唱する「環境犯罪学」に対して、一見そうとは見えないが排除の論理であり問題があるとする筆者の主張はかなり弱いと感じた。わしは小宮信夫の『犯罪は「この場所」で起こる』も読んでいるが、きちんと犯罪者の「立ち直り」「社会復帰」に対する取り組みまで言及されていた。どうも、著者は実態と違うものに的外れな非難を浴びせているように読めてしまう。

たしかに、わしも地域の防犯活動には不気味なものを感じている。防犯マップ作りなんかはいいことだと思うが、いやーな感じがするのは不審者情報ってやつだ・・・
と、ここまで書いて気がついた、あやふやな不審者情報→排除の論理ってなことを書いて終わらせようと思ったが、よく考えたらこういう風に思ってしまうということは、地域住民は偏見に満ちているという偏見にわしが囚われているからではないだろうか。これはわしが実態を知らずにイメージで判断しているからだな、これについてはしばらく時間をかけて考えてみよう、場合によっては自分で参加してみたりするのがいいのかもしれないな。
われわれが思っているように、災害時に人々がパニックに陥って大混乱になるっていうことは実際にはほとんどないそうだ。むしろ目の前の危機を甘く見て脱出のチャンスがあったのにみすみす逃げ遅れてしまうことのほうが多いらしい。
みなさん、ヤバイと思ったら早めに逃げましょう。

なかなかためになり勉強になる本であったが、2年前の本なので直近の大災害の分析がなくて残念。

ああ息子

2006年1月28日 読書
昨年出たと思ったらすぐ売り切れて、ようやく再版が書店に出回ってきたみたいでようやく読めた。

母から見た息子達の抱腹絶倒の生態がこれでもかこれでもかと紹介されていく。わしは四人兄弟で三人男の家系(わしは長男)だったので、これに出てきた男の子がたくさんいる家の玄関ってのはまさにわしの家とそっくりで笑えた。マイ母は、わしら兄弟が小学校の頃は我が家の片付けというものを放棄していたよ(まあ、いまだに放棄してるところを見ると片付ける才能がないのかもしれんが)。

いやでもさ、こんな息子達がいたら母は強くなるよな。家は子供は姉妹だし、やつらの男友達も去勢されたようなのばっかりなので、こういうのを見ると安心する。

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