この一週間の昼休みは本当に至福のときであった。ガストに入り、日替わりランチ大盛りとドリンクバーを頼む。食事がくるまでは右手で本書を持ち左手で携帯を操作。食事がきてからは、食べながら読む(行儀が悪いが)。そのあとコーヒーを2,3杯飲みながら読んでると一章が終わる。店内はかなりうるさいのだが、2,3Pも読むとまったく気にならなくなる。ときおりふうとため息をつき虚空を見つめる。あー、幸せだ・・・。

まえがきに「本書は、これまでにない種類の本である。その目的は、現代思想の概説ではなく、現代思想をツールとして使いこなす技法を実演(パフォーマンス)することである。」とあるように普通の哲学解説書とは趣を異にしている。扱われる思想家は、ソシュール、バルト、フーコ、レヴィ=ストロース、ラカン、サイードの6人。それぞれに一章が割り当てられ、一章が案内編、解説編、実践編にわかれる。特に実践編ではその思想家の理論をもとに、映画や小説を読み解くという大変にスリリングな試みがなされている。

実のところ、内田樹の他の著作やHPで読んだことのある文章はいくつかあったのであるが、それでも新鮮な気持ちで読め、新たな発見が多くあった。これを読んで6人の思想家の考えを理解したつもりになることは厳に慎むようにしなければならないが、それでも難解なものが理解可能な形で提示されるってのはなんと嬉しいことであろうかと心底そう思う。

本書は、2000年にハードカバーで出版されたものの新書版らしいが、佐伯啓思の最近の著作が引用されてたり、細かいところでブラッシュアップがされているようだ。せっかく新書版も出て世間の目にも多く触れていることでしょうし、ぜひぜひ続編を望みます。
「安全が達成された瞬間から、安全の崩壊は始まる」
けだし名言ですな。本書の内容はこれに尽きる、つまり本の帯を読めばほとんどのことは分かってしまう(いいすぎか)。

著者は、安全学を提唱している方で、ずばり『安全学』という著書もある。内容はいわゆるリスクマネージメントの話ってことになるのかな、交通、医療、原子力の分野での話と安全の設計、安全の戦略についての5章からなる。まあ、納得のいく話です、はい。

口語調で書かれてるので、最初は講演かなにかの話を文章にしたのかなと思った。まあ、慣れれば読みやすいといえば読みやすいんですが、どういう読者層を狙ってるのかな?安全学でいえば基本の部分を判りやすく解説した本ということなんでしょうね。さらさら読んで、はいおっしゃるとおりですね、読了、って感じでした。

会社の新年会

2005年1月14日 日常
本日は新年会で居酒屋集合。うーむ、どうも大勢で呑むのは苦手だ、2,3人で呑むのはむしろ好きなんだけどねえ・・・

おれは、世間話は苦手だし、マニアックな話はできるがする人がいないし、ゴルフもしないし、パチンコ話はできるが何連荘したとかいくら勝った負けたなんてどうでもいいし、仕事とはなんて話は真っ平ごめんだと思うたちなのでとりあえず呑んで食ってました。

飲み屋のお姉ちゃんとお話をするのは大好きだけど、カラオケはしないし、わざわざ二次会にいってまでってことで、さくさく一次会で帰る。

奥様に居酒屋まで迎えに来てもらって、すっかり会社では家庭第一の漆黒くんとあいなるわけだな。ええ、違うとこで充分遊んでますから(笑)。

ヴィタール

2005年1月13日 映画
せっかく東京いったんだからとこの前の日曜日に観てきた映画。いや、本当に観て良かったよ、塚本晋也侮りがたしだな、これから何年もコアな人々に語り継がれる映画だと思う、わし的に傑作。ただ、すごい映画を観たと感激してたわしとは違って、なんだか不満そうな反応の観客もいたのでほんとにすごい映画なのかどうかは分かりません(笑)。

以下ネタバレ注意(配慮はしてますが)

主人公は事故で記憶をなくし、医者である父や母のことも思い出せない。事故前は親の希望には沿わずに医者になることを拒否していたらしい主人公であるが、なぜか医学書には興味を示し、受験し医学部に入学することになる。そして、二年生の(4ヶ月に及ぶ)解剖実習のとき、彼は献体をとり憑かれたように克明に描き始める。そして、それと共に過去の記憶の断片として恋人との出来事を思い出し始め、また彼自身の妄想の中で恋人との逢瀬を重ねるようになる。物語はそれに加え、主人公に想いを寄せる同級生、恋人の父親、主人公の父親が絡み深く重く語られていく。

不条理映画に見えて不条理ではない、最後にはきちんと話が収まっていくのがこの手の映画としてはすごい。そして、多くのメタファーが観た者の心に棘となっていろいろな解釈を要求してくる。全篇を通して流れる不快なBGM、印象的な雨、ダンス・マカブル(死の舞踏)という言葉を連想させる謎のダンス、挿入される(彼岸の)海や(重なりそうで重ならない)紋様や(おそらくは火葬場の)煙突の映像。物語はリアルな世界と過去の記憶の断片と彼岸(あの世)での出来事が重層化し混然となって紡がれていく。エンディングにはCocco!の歌うテーマ曲(英語だったので歌詞の内容はさっぱり分からず)。

わしは、この映画を主人公が愛するものを失ったことを受け入れていく過程の映画であると感じたが、もちろん多様な解釈があってしかるべきであろう。しかし86分しかない映画だったんだな、120分ぐらいはあったように感じた、それだけ重く濃密な時間でした。いろんな人に観てもらって感想を聞きたい映画である。

天啓

2005年1月12日 日常
昨日、考え事をしてたら天からの啓示が・・・

そうだ、わしは結婚した諸星あたるになろう!ラムちゃん(=鬼嫁)に尻に敷かれ、迫害されてもかわいい女性を追いかけるのだあああ・・・・


CRうる星やつら2を打ってたら妄想が・・・
なんだか最近読む本読む本面白いな、どうしたんだろ?

本書は東大教授 姜尚中とオーストラリア国立大学教授 テッサ・モーリス−スズキがオーストラリアのリゾート地ハミルトン島で、普段の仕事を忘れ、デモクラシーについて語り合った対談を元に編まれている。

そして本書の目的は、危機に瀕しているといわれて久しいデモクラシーについて、読者に知識と洞察を与えると共に、何らかの行動を起こしてもらうためのメッセージを発信することである。

話は二人の会話を中心に編集者のO氏が道化役を担いながら進行していく。テッサさんのきめ細かな本書の内容への配慮から、現在のデモクラシーの問題点を解きほぐすために簡単に歴史的なところも通っていってくれる(何て親切!)。
さらさらと読み進められ、しかも考えさせられ、知識もつくというお得な本ですな。

最近、民主主義について懐疑的になってきていただけに、彼らの迷いないデモクラシーへの支持にちょっとほっとしたりする。でも、これを読んで何か行動を起こすかと言われれば特に何にもしないんだけどね・・・。

活字中毒の時代

2005年1月10日 日常
最近は、この日記で感想文を書かないといけないというのが主な理由で、読書量が高校時代の活字中毒時代に戻りつつある。いいのか悪いのかわからないが、まあ世界も広がるしいいんだろうきっと。

活字中毒のころはとりあえず文字を読んでないといけないような強迫観念があって、よく「これでこんなに痩せました」とか「このブレスレットで運が向いてきました」っていうチラシの体験談を隅々まで読んだり、勧誘のおばちゃんがおいていった「ものみの塔」を読んだり、ビデオの取説なんかは読みでがあってしかも役立ったりとか、とりあえず目の前の活字は読まずにはいられないような状態だった。

でも、そんな症状も(なにがきっかけか忘れたが)あるひぱったりとおさまり、以後は(視界に入る活字はついつい追ってしまう習性は残ったものの)平和に暮らしておりました。

まあ、最近の読書量の増加に伴って強迫的に文字を読むようになったりはしないと確信してるが、ふとあのころを思い出したのでした。

イベントの話

2005年1月9日 日常
昨日観たライファーズは実はイベントの第一部で、第二部にイベント主催団体の米国アミティ視察報告会があった。

依存症や共存症の自助団体をしているNPO法人が主催でした。視察は、刑務所内のアミティ施設ではなく主に薬物依存の人たちが暮らす広大なアミティ施設についての報告。独自の雰囲気にわしはかなり居心地が悪かった(笑)。

でも、面白い話もいろいろあった。(アミティの)講師になっている人は、基本的に同じ依存症からのサバイバーであるが、教えているというよりは一緒になって自分の事をさらけ出していこうというような雰囲気を作る。講師は前の講師の話し方や態度をまねることが重要だとか、机の配置にもすごく気を使っているとか、そんな話がすごく興味深かった。こういった施設は、いわゆる本筋のプログラムのなかに、ちょっとした、でも重要な細かいノウハウをたくさん持っているのだろうなとそんなことを考えていた。

最後に参加者、スタッフが舞台でゴスペルを歌って終わったんだが、これは報告会以上に居心地悪し(笑)。まあ、舞台の人達のための癒しの時間でいいんだけど、観客の立場はどうなるんだと・・・。

まあ、受付でも帰るときも大変にフレンドリーな人たちでした。
受刑者が300万人を超える米国。そこには10万人あまりのLifers(終身刑、もしくは無期刑受刑者)たちが存在する。彼らは殺人や強盗などの深刻な犯罪を犯し、「更生不可能」というレッテルをはられた人びとであり、社会から忘れられた存在である。
そんなLifersが参加している犯罪者の更生プログラム『AMITY(アミティ)』がある。カリフォルニア州・サンディエゴ郊外にあるRJドノバン刑務所。再犯率が他の刑務所と比べて3分の1も低いこのプログラムでは、約200人の参加受刑者たちが「自分がなぜ犯罪を犯すようになったのか」の問いに徹底的に向きあう。そして、それぞれが罪の償いを模索し、「どのような未来を生きたいか」というビジョンをつくっていく。この中で10名のLifersたちが受刑者の手本(ロールモデル)となってきた。
殺人罪や強盗罪などで服役期間が30年になるLifersの一人、レイエス・オロスコがいう。
 
「釈放されるかどうかが問題なのではなくて、受刑者である私たちは、自分の中に作り上げた『牢獄』から解き放たれる必要がある。たとえ刑務所から出られなくとも、変わるチャンスが与えられれば、今までの生き方にしがみつく必要なんてなくなる。それに、いつの日か出られるかもしれないという希望があれば、頑張り通せると思う」
 
これは、ロールモデルとなったレイエス自身が、他のLifersから教えられたことでもある。自らの罪をどう償い、そしてどう生き直すのかを、彼自身が問いながら、他の受刑者たちにも伝えようとしている。


http://www.cain-j.org/Lifers/index_J.html

いやあ、東京は町田までこの映画観にいってきました。わざわざいったのはめったに上演されないってコトと、坂上香のファンだから(じつはイベントに監督本人がくるのかと直前まで思ってた)。

坂上香は、NHKのディレクター時代から米国における犯罪者更正の取り組みについてドキュメンタリーを撮ったり本を書いたりしてた人。わしは『癒しと和解への旅 犯罪被害者と死刑囚の家族たち』という著書で彼女を知り、以後ドキュメンタリーをチェックしたり、雑誌に書いてるのを見かけると読むようにしたりしていた。考え方や問題意識が共感できるので大変に好きな人です。

映画は期待通りでした。内容は、上記のアミティという施設の取り組みとロールモデルになっているライファーズへのインタビューで構成されている。映画は、彼らがなぜ犯罪に走ってしまったのか、そしてまたどのようにして更正への道を歩んでいるのかを淡々と映し出していく。

犯罪に対する社会の本当に有効な取り組みとはなんなのか?単純に刑罰を重くするだけでいいのか?省みて、われわれ日本での厳罰化の流れには、加害者更正の視点がすっぽりと抜け落ちているのではないだろうか?等々、いろいろと考えさせられた映画でした。
著名な宗教学者中沢新一による歴史学者網野善彦への追悼文。網野は中沢にとって、父親中沢厚の妹である真知子の夫、つまり叔父にあたる。

私は、中沢は『チベットのモーツアルト』あたりで一世を風靡しているときに斜め読みした程度(当時の感想は良くわからないだった)。網野は網野史観という言葉が世間を賑わしてるときに、読んでみないといけないと思いつつ未読。亡くなったときに『日本の歴史』を買わねばと思いつつ、そのまま。ましてや二人が叔父・甥の関係だったなんて初耳ですなという程度の知識でした。

読後の感想は、まず美しい追悼文であるなということ。そして、大変面白いということ。彼らは普通に叔父・甥の関係であっただけでなく、それぞれの思想、思考に大きな影響を及ぼしあっている関係であったことが良くわかる。特に、網野が中沢家(この一族はなんだかすごい)との付き合いのなかで、その歴史観の原型というものを立ち上げていくさまは読んでいて興奮を禁じえない。まさに、本書は中沢にしか書き得ない、そして書かざるを得ないものであったのだなと感じた。

さて、以後は網野本と中沢の『精霊の王』も読まねばなるまいと思ったしだい。本当に読むかどうかはわからないけど・・・。
CRハイパーパッション
初当り確率 249.5分の1
確変突入率 8分の7
大当りラウンド 4ラウンド

今度の土曜日にどうしても行きたいイベントが東京である。これは旅費だけでもパチンコで稼ごうと勝負に・・・。

新基準機で、出玉極少だが初当り確率と連荘率が高いってのが気に入って新台のCRハイパーパッションを打つ。あっさり3kほどで確変当り、さくさく16連荘(それでもドル箱3箱強なんだが)、普段なら絶対にここで勝ち逃げパターンなのだが悪魔の囁きが・・・もうちょっと頑張って新幹線代+宿泊費ぐらいまではしたいよなと打ち続けてしまう。
だって、当り確率249.5分の1だし、ハマってもたいしたことないだろうとそう思いますよね、ええ私はそう思いました。が、次の当りは延々こない、出玉はすべて呑まれ、追加投資を続ける・・・気がつけば1000回オーバーの大ハマリ。ちょっと用事があったので泣く泣く席をたち、1時間後に来てみると誰かが300回ぐらい回してまだ当たらず、空席。早速座りしつこく再チャレンジ・・・250回ぐらい回して金が尽きた(号泣)。
結局、人は入れ替わったが最後まで当たることはありませんでしたとさ。249.5分の1で1800回のハマリは痛すぎだよ、打つほうも打つほうだけど。新幹線で2往復分ぐらい負けて、やはり人間欲をかいてはだめだなと反省(そもそもパチンコ行くこと自体欲をかいてるんだが)。

でも、イベントにはますます行きたくなったのでした。
実は、元旦早々に街の家電店を回りPCを買ってしまった・・・初売りは2日からなので店内は閑散としている、しかしすでに値段は初売りセール価格に!!初売り限定の超特価品まではいかなくてもかなり安いのを発見、どうせ超特価品は夜を徹して並ばないと手に入らないし、これもモデル末期なのでなくならないうちにと素早く市内の他店を回り価格調査後ゲット!他店より4万オーバー安かったなり。

で、本日は旧PCから設定のお引っ越し、本格的に稼働開始いたしました(嬉)。なにしろ前のPCはモバイル用でキーがもうへたりまくり&メモリー128でWinXPという過酷な環境だったのでようやく普通の生活が送れます。

なかなかデザインがよい美しいPCで液晶のきれいさは特筆ものですな。最近はAV用を意識してラスター液晶が大流行だが、あのぴかぴかてかってる液晶はどうも苦手、その点これは反射はかなり控えめ(低反射とまでは行かないが)で解像度こそXGAだがこれはAV再生を考えるとこれで良し(SXGA以上になると動画画質がもやもやして悪くなってしまう)。

あと、ネットではスピーカーの音質悪いと書かれてるけど、こんなもんじゃないかな。ただ気になるのはDVDドライブの作動音、これはうるさすぎ。

しかーし、今回のPC購入で一番嬉しいことはDVDソフトが観られることだったりする・・・録再はおろか再生機も持ってなかったので。早速ツタヤで攻殻機動隊でも借りてくるなりよ。
ネットの友人の北大の学生に勧められた本。いやあ、面白かったです、とてもよくできたアメリカ論、勉強になります。よくまとまっていて、読みやすく分かりやすい、教科書としてももってこい(多分そう使われると思うが)。アメリカについて目から鱗の新理解ができました。

「本書は、アメリカ合衆国の政治と外交が現在直面してるいくつかの重要な問題を、その歴史をさかのぼって理解しようとするものである。」という文章から始まり「ユニテラリズム」「帝国」「戦争」「保守主義」「原理主義」というカテゴリーごとにその歴史から解き明かしていく。そのどれもが納得のいく説明でよく練られている。

アメリカの行動原理について理解を深めたい人にはずばりお勧めですな。

寝かせつけ話

2005年1月3日 日常
娘(5才)への寝かせつけ話

みーちゃんがよく読んでる本にオニババっているじゃない、あれってほんとにいるよね。オニババって知らない間に人を食べてその人に入れ替わっちゃうんだよね、しってる?食べた人の皮をかぶってるからなかなか分からないんだけど、首のところに皮の継ぎ目があるからよく見ると分かるんだよ。
ところで最近みーちゃんのママって変じゃない?たまに口が大きく開いたり、目がつり上がったりしてるんだけど気が付いた?もしかしたらオニババが化けてるのかもよ。

娘は「嘘だ〜、そんなことないもん」と言ってたが、そのあと寝かし付けを妻と変わると、妻は首筋を丹念に調べられたそうだ。
「なんか変なこといったでしょ」と妻に言われた・・・はい、言いました。今度はママは宇宙人話をしようかと・・・。
本日は初売りの応援で仕事。一日中店内を駆け回り膝ががくがく・・・歳だな、運動しなきゃ(といつも思う)。

正月休みも今日だけ仕事があるのでなかなか遠くにはいけない、里帰りをしない言い訳にはいいんだけど。こども達だけ妻の実家に小旅行、妻にも帰ったらとしきりに勧めたんだがしっかり居残られた(いや、いいんだけど)。目を離すと遊び回るのは目に見えてるのでお目付られてます・・・今年も厳しい戦いになりそうだ、がんばれ>俺。
いやあ、期待通りで面白かった。少林サッカーより暴力性が強いのでそれがだめなひとはいるかな、敵方がみんな斧振り回すからなあ(キルビルだとおもうが)。まあ、なんでもありのオバカ映画は楽しまなきゃ損ってことで。

でも、前半観てたときは正直今回は期待はずれかもって予感がずっとしていた、最初からとばしまくりはいいんだけど、残虐シーンにちょっと引くのと、主人公が成長しそうにないのが気になってどう落とすつもりなんだろうと・・・。しかーし、後半でちゃんと気持ちよく終わるあたりさすがですな。チャウ・シンチーはこのパターンを完全につかんでしまいましたね、今後どんなの作ってくれるのか楽しみです。
しらぬまに年も明けていた、昨年も息災に過ごせました、感謝。

なんやかんやいって生きていくには充分な収入があり、好きな本を読むだけよめ、観たいたいときに映画館に行き、ゲーセンで遊び、自分の欲望の実現に精を出せる。これがどれほどラッキーで恵まれたことか、それを心に刻みながら今年も快楽の追求に邁進しよう。ええ、大真面目にね。
年末といえば大掃除だよな、たまにはPCも整理しとこうとはじめてみた・・・予想できたことだが、これがまったく進まない。普通の大掃除でも、過去の新聞や雑誌をついつい見てしまって肝心の掃除が手に付かないってのはよくあることだが、PC内掃除はリアルとは比べものにならないぐらい夢中になることが満載。

まず、エロ系が大変。どうでもいいのだらけなのでまとめて捨てようと思うが、いがいとお宝がそこここに・・・爆。さらに動画の場合はもっとチェックに時間が・・・。

プラウザのお気に入りの整理もなかなか大変、リンク切れも山のようにあるが、懐かしいサイトやお宝エロサイトも(結局それか)、当然ネットサーフィン状態になってしまいますわな。

そして、過去にあちこちに書き散らした駄文の群れが発見されるに及んでは、もう戦場を思い出す退役軍人状態に・・・ああ、おれって昔はけっこう凄かったんだ・・・過去は美しく見えるもんですな(笑)。本の感想から創作から掲示板での論争まで、けっこう過去の自分に刺激をうけました。

で、当然掃除は棚上げに・・・つぎにPC乗り換えるときにやります。
いやあ面白いわ、荷宮和子これからチェックしとこう。帯に上野千鶴子にケンカを売るとあるが、ほんとにケンカ売りまくりですな(笑)

著者はわしよりちょっと上で新人類世代、自らをくびれの世代と呼ぶ。その世代にはわしもはいってるっぽい。本書は30半ばから40前半の女性が読んだら、共感しまくりなこと請け合いだな。その世代のひとには文句なくお勧め。

著者は「フェミニスト」ではなく「フェミニズムのようなものスト」、そしてフェミニズムの旗手たちが陥った過ち、共感を得られなかった理由を鋭く突いていく。いやあ、歯切れがよくて、読みやすくて大変よろしいな。

アグネス論争において、フェミニストはそれが男社会がでっち上げて女同士を戦わせて高みの見物を決めてるものなのに、そこに気付かず林真理子攻撃に終始してしまった。そして、もっとも味方にすべき林真理子の価値を理解していなかった。また、80年代を生きた「フェミニズムのようなもの」の考え方をする女性の境遇を理解していないため共感を得られなかった。うーん、なるほど説得力ありました。

わしはもともと自分の同世代が大嫌いだったが、本書でかなり見直した。そう、やはり人間じぶんの「○○がしたい!」って欲望を肯定して生きていくのがいいねと再確認(言われるまでもなくそうしてるので)。
佐伯啓思を読んでいつも思うのは、勉強になるなぁってことだ、逆に言うといわゆるわくわく感とかどきどき感ってのがないってことなんだが、今回もやっぱりそういう感想になる(笑)。いや、きちんとその思想の成り立ちを歴史的な流れの中で位置づけて説明してくれるし、論理はクリアカットでまったく文句ないんですがね、ちゃんと新書で新刊が出ると買うわけだし。

で、本書はリベラリズム批判ともとれる自由論である。つまり、「自由」とは本来(なにかの価値に基づいた目的を達成するための)「手段」であるはずなのに、「目的」そのものとしてとらえられすぎている。リベラリズムは、「価値」が相対的かつ多様なものであるのでそれが正しいかどうかの客観的基準を設けることは不可能であるとし、何らかの共通した「価値」をつくることは検討から外して、「自由」そのものを達成することばかりを考えようとする。しかし、詳細に検討すると「価値」から離れているわけではなく、裏になんらかの価値観を内包している。そして、その「価値」観を遠ざけていることがリベラリズムから説得力を奪っているとする。

そこで著者は「義」(誤解を多く生みそうな言葉だがあえて使っている、深読みをすれば誤解して同意してくれるひとをわざと狙ってもいる)を価値としてもってくる、そして「義」を達成するための手段として「自由」を語るべきと。まあ、著者の言いたいことはわかる(と思う)、でもなんか違和感ありまくりだな、わしは素直に同意することはできなかった。その「義」を問題なく造り上げていくなにが今の日本にあるのだろう?納得のいく「義」の体系ができて、生き方のロールモデルを小説とかドラマで流布して新しい日本人像でもできてくるならいいけど(いや、よくないか)。

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