2008年7月23日 読書
素晴らしい。

前に読んだ『デザインのデザイン』も素晴らしかったが、本書はさらに素晴らしい。デザイナー原健哉が「白」について考察し語る文章のなんと美しく、示唆に富んで刺激的なことか。そして、この本自体の装丁のみごとさ。表紙、帯、ページそれぞれに使用される紙の色、質感、そして置かれる文字の配置、こだわりにこだわって作り上げられたこの物体としての本自体がひとつの作品として機能しているのがよくわかる。

帯には、今をときめく茂木健一郎、内田樹という二人の紹介文が。わしは、帯は捨てる派なんだが、この本だけはどうしようか本当に迷う。表紙とは違った質感の白でバランスの取れた帯付きのままでもいいが、取り払った後のすっきりとした佇まいも捨てがたい。うーん、しばらくは迷えそう。

装丁ばかりではなく、内容もしっかり面白い。しかし、原研哉という人は本当にきれいな文章を書くな。わしの中での文章のひとつの理想形に近いものがある。変な言い方だけど、来年度あたりから国語の試験に取り上げられそうな文章と内容(実際にそうなると思う)ですな。

「まえがき」の上手さといえば、個人的にはずっと内田樹だと思ってたんだが、この本のまえがきも素晴らしいので勝手に引用してみる。
 白について語ることは色彩について語ることではない。それは自分たちの文化の中にあるはずの感覚の資源を探り当てていく試みである。つまり、簡潔さや繊細さを産み出す美意識の原点を、白という概念の周辺に探ってみたのである。
 僕はデザイナーという仕事をしている。専門はコミュニケーションである。だから「もの」ではなく「こと」を作っている。具体的にはポスターやパッケージ、シンボルマークやブックデザイン、そして展覧会などを無数に作ってきたが、それらは言わば「こと」の痕跡のようなものだ。いかに印象的に記憶されるか、いかに鮮烈にイメージを屹立させられるか、つまり、世の中や人の頭の中に、どうすれば特別な結び目を作ることが出来るかを考えながら仕事をしてきた。そういう仕事を繰り返すうちに、自分だけではない、おそらくは日本の、あるいは世界の文化の中に蓄積されてきた意思疎通の知恵、あるいはツボのようなものが意識されてくるのである。
 そのうちのひとつに「空(うつ)/エンプティネス」、すなわち「空っぽ」という概念がある。人と意思の疎通を行うときには、一方的に情報を投げかけるのではなく、むしろ相手のイメージを受け入れるほうが有効である場合が多い。つまりいかに多く説得したかではなく、いかに多く聞けたかが、コミュニケーションの質を左右する。だから人々は、歴史の中では、時に意図的に空っぽの器のようなものを作って、コミュニケーションを図ってきた。たとえば、日の丸や十字架などの簡潔きわまりないシンボルは、何かの意味を担う限定的な記号というよりも、それに触れた人々が生み出す多様なイメージのすべてを引き受け、受容する大きな空っぽの器のようなものだ。巨大な墳墓や教会などの空間、あるいは茶室や庭なども、そういうもののひとつである。したがって、当初は「空(うつ)」について書こうとしていた。しかし、書き進むうちに「白」にたどり着いた。「空」を掘り進むスコップの先に「白」という概念がこつんとあたったのである。「白」は「空白」などという言葉があるように、「空」に深く関係した概念であり、「空」を掘り進む上では避けて通れない対象物のように思われた。だから「空」を書く前にこちらを先に書いてみることにしたのである。

 この本を読んだあなたは、もはや「白」が簡単に白くは見えなくなるかもしれない。あるいは本当に白いものはより輝きを増して感じられるはずだ。それは、あなたの感覚の目盛りが、少し細かくなった証拠である。白を感知する感度が上がった分だけ、世界は陰翳の度をも増すはずであるから。

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