我が家のトイレは八咫の趣味(?)で、いろいろなものがディスプレイされている。お気に入りのショップのハガキやら、新聞の真面目な記事の切抜きやら、ガチャガチャでとった小さい人形たちやら、大好きな大量のカエルグッズ(玩具、ハガキ、紙袋etc)やら・・・。
その一角に、一枚のチラシが貼り付けられている。数年前、八咫がネット友人達と九州旅行に行ったときにたまたま観て来た展覧会のもので、「貝殻の標本」と銘打たれた死装束のコーナーのチラシ。そこに書かれている服飾作家大原ゆう子の文章がいい。
八咫に、「なんでこれ貼ってるの?」って聞いたら、「捨てるの忍びないから」といってた。なるほど、ごもっとも。旅行は羨ましくなかったけど、これを観られたのはちょっと羨ましい。
その一角に、一枚のチラシが貼り付けられている。数年前、八咫がネット友人達と九州旅行に行ったときにたまたま観て来た展覧会のもので、「貝殻の標本」と銘打たれた死装束のコーナーのチラシ。そこに書かれている服飾作家大原ゆう子の文章がいい。
これは貝殻の標本です。
本来、命を包んでいた貝殻は、海岸にうち捨てられ、
砂に埋もれていても命の遺伝子を表し、ひとつひとつが
違った柄をもっています。
生まれた時に身につけた産着。
8才の夏の朝のひまわりの柄のワンピース。
16才の星空の下、宇宙に立っているとさえ
思えたときのTシャツとGパン。
そして、母をなくした日に着ていたカーディガン。
そんな、きらめいた一瞬の記憶を想いながら、
死ぬときに着る服を用意する。
私の記憶をみんな閉じ込めて、出来るだけ自分の
気持ちを表す服を用意する。
自分の死を想ってみる。
どう生きてきたのか、そしてどう生きたいのか。
死を内包する生物として、それを考えてみようよ、
というのが私のメッセージです。
魂のいれものだった私の体。抜け殻になった自分の体に
お別れに着せてあげる服。それが死装束です。
死が旅立ちならば、最期の旅行着。荷物は何もいりません。
ただ、うんと翔べる服を、美しく、暖かく、包み込み、
世界を感じられる、そんな死装束を作っていきたいと思います。
八咫に、「なんでこれ貼ってるの?」って聞いたら、「捨てるの忍びないから」といってた。なるほど、ごもっとも。旅行は羨ましくなかったけど、これを観られたのはちょっと羨ましい。
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