出版が2004年の5月だから、この本を読み終えてからもう二年近くがたつんだな。このとき、改めて『ゲド戦記』を一巻から読み直して新しい発見がたくさんあった。今回の映画化の機会にもう一度読み直そうかと思っている。最初は別に面白いともなんとも思わなかった。でも、読み返すたびに面白くなっていく。おそらく完璧なお話ではない、なにより作者自身が物事は変化するといっている。長い時間をかけて書かれたこの話は、その間に作者自身の成長もまた内包している。なにしろ、三大ファンタジーの一作であり、古典中の古典なのに、語り終えられたのが今世紀に入ってからなのだから。
この外伝のまえがきに、作者アーシュラ・K・ル=グウィンによる物語についての素晴らしい一文が寄せられている。
感銘を受けました。
この外伝のまえがきに、作者アーシュラ・K・ル=グウィンによる物語についての素晴らしい一文が寄せられている。
アースシーのことを書きはじめてから今日まで、私はもちろん変わったが、それは読者も同じだったろう。時代とともにすべては変わるものだが、私たちの体験した変化は急速で、しかも規模の大きい、倫理的、精神的変化だった。原理的なものは重荷でしかなくなり、単純なものは複雑に、混沌は明快になり、誰もが真実だとわかっていたことは、「昔そう考えていた人もあった」程度のことになった。
こうなると、落ち着いた気分でいられなくなる。たしかに私たちは電子機器のきれいなフリッカーなどといった、瞬時にあらわれ、消えていくものも楽しむけれど、同時に変わらないものもあってほしいと願う。私たちが古い物語を大切に思うのは、それが変わらないからである。アーサー王はいつもきっとアヴァロンで夢見てるし、ビルボは「往って還」ってくる。そこにはいつもなつかしい、いとしのホビット庄が待っている。そして、ドン・キホーテは風車を槍で突こうと何十年何百年と変わらず、やっきになっている、といった具合である。こうして人びとはゆるがない確かなもの、遠い昔からある事実、変わることのない単純さを、ファンタジーの領域に求めるのである。
すると、多額の金がそこに注ぎこまれる。需要に供給が追いつくようになる。ファンタジーはひとつの商品となり、ひとつの産業となっていく。商品化されたファンタジーは危険を冒すことはしない。新しい何かを創り出すことはせず、模倣と矮小化に終始する。商品化されたファンタジーは、昔からある物語から知的で倫理的な奥の深さを消し去って、そこに描かれている人間の行為を暴力に変え、登場人物を人形に変え、彼らが語っていた真実の言葉を、陳腐な、ありきたりなことばに変えてしまう。ヒーローは剣を、レーザー光線を、はたまた魔法の杖なり棒なりを振りまわし、コンバインが機械的に刈り取りをしていくように、ガッポガッポと金をもうけていく。読む者を根底から揺るがすようなものの考え方はことごとく排除され、作品はひたすらかわいく、安全なものになっていく。すぐれた物語作者たちの、読者の心を熱く揺さぶった発想あるいはものの考え方はまねされ、やがてステレオタイプ化されて、おもちゃにされ、きれいな色のプラスチックにかたどられ、コマーシャルにのせられ、売られ、こわされ、がらくたの仲間入りをさせられ、ほかのものに置き換えたり、取り替えたりされていく。
ファンタジーの商品化に従事する人びとがあてにし、利用しているのは、子供大人を問わず、とにかく読者が持ってる、打ち勝ちがたい想像力で、これがあるおかげで、死んだ作品もしばらくの間は、ある種の生命を与えられるのである。
想像力は、他のあらゆる生命体と同じように現在を生きる。それは本当の変化とともに生き、本当の変化に基づいて生き、本当の変化から養分をもらって生きるということである。私たちの行為や持ち物と同じように、想像力も時には予定外のものに勝手に用いられたり、弱まってしまうこともあるが、それでも金もうけの道具に使われようと、説教の道具に使われようと、きっと生きのびる。国破れて山河あり。征服者はかつて森や牧場だったところを荒らすだけ荒らして引き上げるかもしれなが、それでも雨は降り、川は海へと流れていく。昔話のうつろいやすく、変わりやすい、不確かな領域は、人間の歴史やものの考え方を記した部分で、それは地図帳に記された国歌のようにくるくるとよく変わるが、なかにはもう少し永続性のあるものもある。
私たちは長い間、現実と空想の両方の世界で暮らしてきた。しかし、その暮らし方は、どちらの場合も、私たちの両親やもっと前の先祖たちのそれとはちがう。人が楽しめるものは年齢とともに、かつまた時代とともに変化していくものなのだ。
私たちは今ではそれぞれに異なる十二通りものアーサー王の人物像を知っている。ビルボが生きている間でさえ、ホビット庄はあともどりできないほどに変化したし、ドン・キホーテは馬に乗ってアルゼンチンまで出かけ、ボルヘスに会った。だが、「変われば変わるほど同じものになる。」ということもある。
アースシーにもどってみたら、まだそれはそこにあって、私は大喜びしてしまった。なつかしかった。だが、変わっていた。今もなお変わり続けている。起こるだろうと予想したことと実際に起こっていることとはちがっていた。人びとも、私が考えていた人びとではなかった。すっかり頭に入っていると思っていた島々で、私は道に迷い、途方に暮れている。
というわけで、これは私の探索と発見の報告書であり、アースシーをこれまで愛してきてくれた人、これから好きになるかもしれないと考えている人、そして次の私のことばを受け入れてやろうと言ってくれる人に、アースシーから贈る物語である。
物事は変化するものである。
作者も魔法使いも必ずしも信用できる者たちではない。
竜がなにものであるかなど、誰にも説明できない。
感銘を受けました。
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