ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
2006年2月8日 読書
面白い!全ブロガー必読の書
わしは、パソコン通信から始まりインターネットも普及初期からやっていたが、そのなかで一番衝撃的だった出来事というのは実はGoogleの登場である。当時、さるコミュニティの掲示板で下手な論争を繰り返していたわしは、自分の意見の根拠やデーターなどの裏をとるためにひたすら検索エンジンを使い倒していた。人の手で分類されていた当時のyahooはまったく役に立たず、infoseekやexciteといった機械式の検索エンジンでひたすらいろいろな文字の組み合わせをためし、役に立ちそうなサイトを一覧からほぼ勘で探し出すという行為を繰り返していたのだが、Googleの日本版がでて初めて使用したときは本当に驚いた、まさにピンポイントで欲しい情報がでてくるのだ、これは他のヤツには知られたくないよなと思ったものだ。
余談が長くなったが、そのGoogle革命について本書ではより本質的な部分について述べられ、そしてさらにGoogleが今後なにをしようとしているのか、なんだかわくわくするような内容が展開される。本書は、いままでとまったく質の違う変革が起こりつつあることをGoogleのほかにもアマゾンやウィキペディアの例を挙げながら分かりやすく教えてくれる。
しかし、本当にわくわくする話はここからなのである。こういった変革によって何が起こり変わってくるのか、これはもしかしたら小泉構造改革よりももっとわれわれの社会を構造改革してしまうかもしれない。
例えばブログである。ネット環境の整備によりわずかな費用で自己表現ができるようになり、ブログ人口はどんどん増えていっている、母体が大きくなるにつれ本当に面白いブログの数も増えていっているだろう。しかし、今はブログ界は玉石混合、よほど暇でもない限り面白いブログを探し続けるなんて作業は難しい。ここで、Google革命と同様のブレークスルーを経て「自動秩序形成システム」というものが出来上がれば、リアルタイムに受け手の嗜好に合わせて玉石の玉だけがふるいわけられ届けられるのだ。
それは、単に受け手として有用な情報が届けられるという意味ではより便利な社会というだけである。しかし、送り手の側から考えるとどうだろう。情報の発信者にその情報の価値に見合った対価が届けられるようになり、その情報価値の審査システムが納得のいくものであったら・・・、少なくとも今現在ものを書いて生計を立てている人々は心穏やかではないだろう。何千万の人々が自己表現をはじめ、そこから価値のあるものだけが選ばれていくという究極の競争はどういったものを生み出すのだろう?そして、これは単純な弱肉強食ではなく、マイナーな趣味嗜好のものでいままでは埋もれるしかなかったものに光を当てるという効果も期待できるのである。
わしは、パソコン通信から始まりインターネットも普及初期からやっていたが、そのなかで一番衝撃的だった出来事というのは実はGoogleの登場である。当時、さるコミュニティの掲示板で下手な論争を繰り返していたわしは、自分の意見の根拠やデーターなどの裏をとるためにひたすら検索エンジンを使い倒していた。人の手で分類されていた当時のyahooはまったく役に立たず、infoseekやexciteといった機械式の検索エンジンでひたすらいろいろな文字の組み合わせをためし、役に立ちそうなサイトを一覧からほぼ勘で探し出すという行為を繰り返していたのだが、Googleの日本版がでて初めて使用したときは本当に驚いた、まさにピンポイントで欲しい情報がでてくるのだ、これは他のヤツには知られたくないよなと思ったものだ。
余談が長くなったが、そのGoogle革命について本書ではより本質的な部分について述べられ、そしてさらにGoogleが今後なにをしようとしているのか、なんだかわくわくするような内容が展開される。本書は、いままでとまったく質の違う変革が起こりつつあることをGoogleのほかにもアマゾンやウィキペディアの例を挙げながら分かりやすく教えてくれる。
しかし、本当にわくわくする話はここからなのである。こういった変革によって何が起こり変わってくるのか、これはもしかしたら小泉構造改革よりももっとわれわれの社会を構造改革してしまうかもしれない。
例えばブログである。ネット環境の整備によりわずかな費用で自己表現ができるようになり、ブログ人口はどんどん増えていっている、母体が大きくなるにつれ本当に面白いブログの数も増えていっているだろう。しかし、今はブログ界は玉石混合、よほど暇でもない限り面白いブログを探し続けるなんて作業は難しい。ここで、Google革命と同様のブレークスルーを経て「自動秩序形成システム」というものが出来上がれば、リアルタイムに受け手の嗜好に合わせて玉石の玉だけがふるいわけられ届けられるのだ。
それは、単に受け手として有用な情報が届けられるという意味ではより便利な社会というだけである。しかし、送り手の側から考えるとどうだろう。情報の発信者にその情報の価値に見合った対価が届けられるようになり、その情報価値の審査システムが納得のいくものであったら・・・、少なくとも今現在ものを書いて生計を立てている人々は心穏やかではないだろう。何千万の人々が自己表現をはじめ、そこから価値のあるものだけが選ばれていくという究極の競争はどういったものを生み出すのだろう?そして、これは単純な弱肉強食ではなく、マイナーな趣味嗜好のものでいままでは埋もれるしかなかったものに光を当てるという効果も期待できるのである。
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