芹沢一也の2作目、前の『狂気と犯罪』が非常に面白かったので買ってみた。前作では、日本における精神病院をめぐる歪んだ成り立ちと現状が書かれており、これは今までにない視点からの素晴らしい著作であった。

さて、本書は少年犯罪の話題なのであるが、5章のうち2つの章は前作にもあった精神病院がらみの話なので、目新しいのは3章分ということになる。前作を読んでる人にはお買い得度がちと下がるが読んでみる価値はあるかと思います。

少年犯罪に対する反応について、昔は少年の更生を信じていた(もしくは信じようとしていた)社会が、酒鬼薔薇事件とその後の少年犯罪を境に正反対に転換し、彼らを理解不能なモンスターとして排除へと向かいだしたと著者は言う。そして、一方で実体のない不安にとりつかれ、もう一方で治安管理を(子供たちの安全マップ作りのように)エンターテイメントとして楽しんでいる社会が出現しつつある。この歪んだ状況を著者は「ホラーハウス社会」と呼ぶ。

うーん、わしは筆者と問題意識を共有するものであるが、治安管理がエンターテイメント化されつつあるってところにはもう少し冷静な観察が必要なんではないかと思う。昔の子供にとっての夜祭が今の子供にとって防犯パトロールに同行する経験であるといった言い方はどう考えたっていきすぎだろう。子供にとっては非日常はすべからくエンターテイメントなのであるから、なにも防犯意識を高める試みへの参加をエンターテイメント化なんていわなくてもいいんじゃないかな。切り込むべきは、子供ではなく大人が治安管理にエンターテイメントを求めていないかという部分ではないだろうか。

あと、小宮信夫が提唱する「環境犯罪学」に対して、一見そうとは見えないが排除の論理であり問題があるとする筆者の主張はかなり弱いと感じた。わしは小宮信夫の『犯罪は「この場所」で起こる』も読んでいるが、きちんと犯罪者の「立ち直り」「社会復帰」に対する取り組みまで言及されていた。どうも、著者は実態と違うものに的外れな非難を浴びせているように読めてしまう。

たしかに、わしも地域の防犯活動には不気味なものを感じている。防犯マップ作りなんかはいいことだと思うが、いやーな感じがするのは不審者情報ってやつだ・・・
と、ここまで書いて気がついた、あやふやな不審者情報→排除の論理ってなことを書いて終わらせようと思ったが、よく考えたらこういう風に思ってしまうということは、地域住民は偏見に満ちているという偏見にわしが囚われているからではないだろうか。これはわしが実態を知らずにイメージで判断しているからだな、これについてはしばらく時間をかけて考えてみよう、場合によっては自分で参加してみたりするのがいいのかもしれないな。

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