文庫本だが結構高い(900円)のでてっきり新刊かと思ったら、2000年に出した単行本の文庫化であった。著者は日本暮らしの長いアメリカ人だが、やたら読みやすい文章を書くなと思ったら語りおろしであった(読みやすいからいいけど)。

端的にいって現代文明批判本なのであるが、一章を割いて日本国憲法の第9条擁護論を展開しているのがなにげにタイムリーであった。しかし、わしが読む本ではみんながみんな憲法改定には反対であるな、わしも同じ意見だけど、わしが選択的に改定論者の著書を排除してしまってるってことかな?まんべんなく読んでるつもりなんだけどな、逆に改定論を選択的に読まないといけないかも。

さて、本題の経済成長についての話であるが、著者はいわゆる「発展イデオロギー」が歴史に登場したのは、トルーマン大統領の就任演説であると明快に規定する。それ以降、世界は「未開発の国々」を「近代化」するというタームで動き出した。これによって、植民地主義ではわかりやすかった搾取の構造が「近代化」という言葉を隠れ蓑に見えにくく巧妙になってしまった。そして「発展」が無批判に正義とされる「常識」をわれわれが持ってしまったとする。

著者は、われわれが「常識」として持ってしまっている成長神話自体が通用しなくなるパラダイム転換が近々起こるだろうと予測し、われわれはそそれをより進めるために運動をしていかなければならないと主張する。

さて、本書が書かれた2000年から5年弱たって、社会は著者の言うパラダイム転換を徐々に迎えつつあるようには見える。しかしわしにはそれは本質的な転換には思えないな。便利に慣れたわれわれは、絶対に不便に戻ろうとはしないような気がする。せいぜいが技術的な進歩により、環境負荷を下げたりして破壊の度合いを下げているだけである。エコロジーとか環境にやさしいとはいうが、ほとんどはまやかしなんじゃないかな。なんだかすごい技術革新が起こらないかなあと思いつつ、浪費を少し抑えようかって考えてる程度の転換が起こってるにすぎないように思える(かくいうわしもまったくそういうヒトなのであるが)。

コメント