僕の叔父さん網野善彦
2005年1月7日 読書
著名な宗教学者中沢新一による歴史学者網野善彦への追悼文。網野は中沢にとって、父親中沢厚の妹である真知子の夫、つまり叔父にあたる。
私は、中沢は『チベットのモーツアルト』あたりで一世を風靡しているときに斜め読みした程度(当時の感想は良くわからないだった)。網野は網野史観という言葉が世間を賑わしてるときに、読んでみないといけないと思いつつ未読。亡くなったときに『日本の歴史』を買わねばと思いつつ、そのまま。ましてや二人が叔父・甥の関係だったなんて初耳ですなという程度の知識でした。
読後の感想は、まず美しい追悼文であるなということ。そして、大変面白いということ。彼らは普通に叔父・甥の関係であっただけでなく、それぞれの思想、思考に大きな影響を及ぼしあっている関係であったことが良くわかる。特に、網野が中沢家(この一族はなんだかすごい)との付き合いのなかで、その歴史観の原型というものを立ち上げていくさまは読んでいて興奮を禁じえない。まさに、本書は中沢にしか書き得ない、そして書かざるを得ないものであったのだなと感じた。
さて、以後は網野本と中沢の『精霊の王』も読まねばなるまいと思ったしだい。本当に読むかどうかはわからないけど・・・。
私は、中沢は『チベットのモーツアルト』あたりで一世を風靡しているときに斜め読みした程度(当時の感想は良くわからないだった)。網野は網野史観という言葉が世間を賑わしてるときに、読んでみないといけないと思いつつ未読。亡くなったときに『日本の歴史』を買わねばと思いつつ、そのまま。ましてや二人が叔父・甥の関係だったなんて初耳ですなという程度の知識でした。
読後の感想は、まず美しい追悼文であるなということ。そして、大変面白いということ。彼らは普通に叔父・甥の関係であっただけでなく、それぞれの思想、思考に大きな影響を及ぼしあっている関係であったことが良くわかる。特に、網野が中沢家(この一族はなんだかすごい)との付き合いのなかで、その歴史観の原型というものを立ち上げていくさまは読んでいて興奮を禁じえない。まさに、本書は中沢にしか書き得ない、そして書かざるを得ないものであったのだなと感じた。
さて、以後は網野本と中沢の『精霊の王』も読まねばなるまいと思ったしだい。本当に読むかどうかはわからないけど・・・。
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