佐伯啓思を読んでいつも思うのは、勉強になるなぁってことだ、逆に言うといわゆるわくわく感とかどきどき感ってのがないってことなんだが、今回もやっぱりそういう感想になる(笑)。いや、きちんとその思想の成り立ちを歴史的な流れの中で位置づけて説明してくれるし、論理はクリアカットでまったく文句ないんですがね、ちゃんと新書で新刊が出ると買うわけだし。

で、本書はリベラリズム批判ともとれる自由論である。つまり、「自由」とは本来(なにかの価値に基づいた目的を達成するための)「手段」であるはずなのに、「目的」そのものとしてとらえられすぎている。リベラリズムは、「価値」が相対的かつ多様なものであるのでそれが正しいかどうかの客観的基準を設けることは不可能であるとし、何らかの共通した「価値」をつくることは検討から外して、「自由」そのものを達成することばかりを考えようとする。しかし、詳細に検討すると「価値」から離れているわけではなく、裏になんらかの価値観を内包している。そして、その「価値」観を遠ざけていることがリベラリズムから説得力を奪っているとする。

そこで著者は「義」(誤解を多く生みそうな言葉だがあえて使っている、深読みをすれば誤解して同意してくれるひとをわざと狙ってもいる)を価値としてもってくる、そして「義」を達成するための手段として「自由」を語るべきと。まあ、著者の言いたいことはわかる(と思う)、でもなんか違和感ありまくりだな、わしは素直に同意することはできなかった。その「義」を問題なく造り上げていくなにが今の日本にあるのだろう?納得のいく「義」の体系ができて、生き方のロールモデルを小説とかドラマで流布して新しい日本人像でもできてくるならいいけど(いや、よくないか)。

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